46祝福された道尾形さんの転勤も明日に控えている中、私たちはいつも通りの日常を過ごしていた。彼の仕事の引継ぎは私と宇佐美さん、そして何人かの先輩達が請け負うことになり、上手い具合に分散されたので、ドタバタする必要は無くなりそうだった。日々寂しさも増していくので、私は彼に心配させないように気丈に振舞っていたのだが、直ぐに見破られて現在進行形で彼に頭を撫でられ慰められている。 「……寂しいです」 「俺も同じだ。なるべく早く戻れるようにするから」 「…はい」 「ちゃんと連絡も入れる」 「…はい」 「あっちからも何か良いもの見つけたら送ってやるよ」 「…はい」 「だから良い子にして待ってられるな?」 「……子供じゃないんですから、それぐらい出来ます」 明らかに拗ねた子供みたいな態度をしてしまった私に、彼はフッと笑みを零すと「よし良い子だ」と撫でていた手を私の頭の後ろに回すと、そのまま引き寄せて額にキスを落とした。うぅ…、ありがとうございます。 「俺が帰って来るまでに、料理の腕を上げるんだろ?」 「勿論ですよ。ちゃーんと書店でレシピ本は買い揃えました!」 「ん、楽しみにしてる。まあ、俺はもう充分だと思ってるんだが、がそうしたいなら頑張ればいい」 次第に調子を取り戻していく私を見て、彼は苦笑する。今日はもう寝ようと言った彼が、私をソファーから立たせると一緒に寝室まで移動した。彼の転勤報告があってからは、ほぼ毎日彼の寝室で一緒に寝ることが増えた。毎日体を重ねることはしないが、私の体を抱き寄せて気持ち良さそうに眠る彼の寝顔を見れるので、結構それだけで大満足している。 今日も同じように私の体を引き寄せると、すっぽりと彼の胸の収まった。尾形さんの心臓の鼓動が聞こえて、それが心地良い。私の方が先に寝落ちしそうな中、彼は静かに話し始めた。 「俺がロシアに発つ前に、の婆ちゃんちに行こう。あと、お前が行きたがってた海も」 「……はい」 「親父さん達の墓参りもしないとだな」 「尾形さんってば……予定いっぱいですね。行く前に疲れちゃいますよ?」 「俺もと一緒で、意外とタフなんだぜ」 「フフ、知ってます」 ほら寝るぞ、と彼の言葉に私も頷くと、常夜灯に切り替えて私たちは静かに眠った。 約束通り茨城にやってきた私と尾形さんは、最初に祖母の顔を見ようと挨拶に向かった。相変わらず元気にしていた祖母に安心すると、東京土産を渡して世間話に花を咲かせる。尾形さんがロシアに転勤になってしまう事も報告すると、祖母は心配しながらも彼を応援してくれた。そんな彼女にお礼を述べていた尾形さんは、少しだけ婆ちゃんと二人で話させてくれと言い、私を一度部屋から退室させた。 突然暇になってしまった私は、何をするでもなく自分の部屋に移動するとスマホを片手に、優子ちゃんに茨城に無事到着した旨をメールで連絡した。直ぐに返ってきた返事は『お土産楽しみにしてるわね』という彼女らしいもの。了解です、と返事を返した後はベッドにごろんと転がった。 視線を机に向けると、伏せられた写真立てが視界に入る。そういえば、昔からこの写真だけは見ないようにしてたんだっけ。体を起こして立ち上がると、机に近付いてそれを手に取るとゆっくりとそれを眺めた。 良くある幸せそうな家族写真だ。私がまだ小学生の頃だろうか、髪型や服装に時代の流れを感じた。中の写真だけ取り出すと、それを鞄に仕舞うと両親や兄のことを思い出していた。私の記憶に残っていたものは、写真の中の幸せな家庭とは違うものだった。でも、そうじゃない。それだけじゃなかった。そう思えるぐらいに心に余裕が出来たのも、尾形さんと過ごした日々が大きい。 カタッと扉の方から音が聞こえて振り向くと、尾形さんが立っていた。 「待たせたな」 「いえ…、祖母とゆっくり話せたようで良かったです。今からどうしますか?」 「まずは墓参りだな。その後に海に行こう」 「分かりました。じゃあ、祖母に行き先だけ伝えておきますね」 私は彼の横をすり抜けると、パタパタと早足に廊下を歩いた。 ―――――――――――― 墓参りに来た尾形とは、鬱蒼とする茂みとなったそれを見て唖然とした。に関してはこうなっていることは分かり切っていた事なのだが、その隣で言葉を失っている彼を見て申し訳ない気持ちになった。 「……墓が見えん」 「すみません。前回来た時は墓の周りだけ除草しておいたんですけど、やっぱり野生の草は成長が早いですね」 「感心してる場合か。さっさと片付けるぞ」 「はーい」 前回同様、墓の周りだけ草を抜くと少しずつ綺麗になっていく。ある程度やった後は墓石を水洗いしてお供えの花を活けた。線香に火を燻らすと、私たちは両手を合わせて拝んだ。隣で同じように手を合わせてくれた彼に心の中で有難うございますと謝辞を述べて、私は声に出して家族に話しかける。 「お父さん、お母さん……私、大切な人が出来たよ。尾形百之助さんっていう、とっても優しい人なの」 「……少し照れ臭いんだが」 「たまには百之助も私と同じ気持ちを味わえばいいんですよ」 いつも彼の言葉にドキドキさせられっぱなしなのは私なのだ。 「…初めまして、尾形です。さんはとても可愛らしくて、変な虫が付かないかいつも心配になります」 「……あの、恥ずかしいんですけど」 「さっきのお返しだ」 「むぅ…」 すぐに仕返しをされたけど、お互いさまということでイーブンだ。次は海だな、と言った彼は駐車している車のところへ歩き出した。私もその後を追い、寒いと思いますけど良いんですか?と一応問い掛ける。冬に近い秋の海に連れて行くことに罪悪感が無いわけでない。前回、佐一と一緒に海に行ったし、あの寒さは堪えた。 「別に遅かれ早かれ行くことになってたんだ」 車に乗り込んで、ハンドルを握ると彼はそう言った。確かにその通りなので、さっさと用事を済ませて帰ろうと心に誓うと、じゃあお願いしますと苦笑した。 ――――――――――― 分かっていたことだったんだ。でも自分でそう言ったのだから仕方ない。そう思いながら車に置いてたマフラーを首に巻くと顔を半分埋めた尾形には苦笑していた。波際ギリギリまで近付いた彼女の少し後ろでその様子を眺めていた尾形は、これから一体何が始まろうというのだろうかと静かにする。 彼女が肩から下げていた鞄にそっと手を入れると、一枚の紙きれを取り出す。何だろうとチラッと見えたそれは写真だった。尾形は誰の写真か考えることはせず、彼女が何か思い詰めた表情でそれを見詰める姿を、同じように尾形も彼女を見つめる。ふぅと白い息を吐き出して少しだけ眉を下げて笑ったが、その写真をビリビリと音を立てて細かく千切ると、その紙切れ達を空に投げた。 ハラハラと風に待って飛んだそれは、水面に落ちると波に浚われ沖へと流れていく。 「……実はこの海、前に話した私の兄が亡くなった場所なんです」 つまり、さっきの写真は家族写真か何かだったのか。彼女の言葉で先程のことに合点がいった尾形は、まだ何か話しそうな気配の彼女の口元を見て、開きかけた口を閉じた。 「でも、今からは違います。私と百之助が海デートした場所になるんです」 そう言って笑顔で振り返った彼女は、今さっきのことが嘘のように晴れやかな顔をしていた。 「もう、私には必要ない過去なんです。私には…百之助がいるから」 「、こっち向け」 言葉尻に顔を俯かせた彼女は、それでも表情を曇らせるので、尾形はそっと両手で彼女の頬を触ると上を向かせた。最後に彼女の背中を押してやるべきは自分だろうと、尾形は微笑んだ。 「俺の残りの人生をに全部やる」 目を見開き揺れる瞳の彼女の目尻から涙が零れ落ち、彼の手を伝った。 「それって……っ」 ほぼプロポーズに近い台詞だが、尾形にとってそれは不完全だった。だから、この続きは自分が転勤から帰ってきたら言うと彼女に伝える。それに頷く彼女は、決壊したダムの如く涙を流し続けたので、尾形もやれやれと苦笑していた。 ―――――『転勤から戻ったら、と結婚したいと思います』 ふと思い出すのはの祖母との会話だ。尾形の言葉に笑顔で『勿論だよ』と祝福してくれた祖母に、初めて親とも近しい感情を感じた。血の繋がった家族でもないのに、認めてほしい事を親に認められた時の感覚。 誰かに祝福されることが、こんなにも嬉しいものなのだと知る。 自分の胸に顔を押し付けて泣き続ける彼女を抱き締めると、俺にも祝福された道があったのか、と心の中でそう呟いた。 |