白狼、何をしておるのだ?
 緋龍王に声を掛けられ、白狼は持っていた筆を置くと建国神話ですと言った。

「建国神話?何故そのようなモノを」
「高華王国がどのようにして領土を拡大し、統治されていったか自慢する為の書だ」
「自、自慢…とな…」

 至って真面目な顔をして言う白狼に、緋龍王は苦笑していると他の四龍たちが部屋にぞろぞろと入ってきた。此処は私の部屋だぞ、勝手に入ることを許した覚えはない。と、ぶつくさ説教をする白狼にハイハイと適当な返事をするのは緑龍のシュテンと白龍のグエンだ。二人に続いて部屋に入ってきた青龍のアビは、白狼の机に置かれた書物を見て「何を読んでいたんだ?」と建国神話を指差し言った。

「貴様らに教えてやる義理はない」
「こらこら、白狼も意地悪言うでない。アビ、これは建国神話と言って」
「オ、オイ!勝手に教えるでない!」

 白狼の後ろからスッと手を伸ばして書物を奪ったグエンがシュテンと一緒に建国神話を読み始めた。

「なんだぁ?俺たちのことが書いてあるじゃねーか」
「それは白狼が綴った私達の事を自慢するための書らしい」
「だから要らぬことを……っ」

 へえ、お前がねえ。と白狼を見る四龍たちだが、特別嫌な顔をせず真面目に目を通していた。
 勝手に自分たちの事を書かれて文句の一つでもあるんじゃないのかと白狼が問えば、別に、と予想外の反応が返ってきたので逆に白狼がポカンとするのだった。

「後世に残せるものがあるなら、あった方がいい。ま、俺たちの事はカッコよく書いてくれて構わねーぜ」
「誰が格好良く書いてやるか…フン」
「ほんっと、オメェは素直じゃねーよなぁ、ハハッ」

 シュテンに揶揄われながらムッとしていた白狼が、この建国神話は主観だけで書いたものではないと言う。

「じゃあ、誰かと一緒に書いたってのか?」
「……まあ、そんなところだ。お前たちをいつも見守っている優しき子よ」
「それって女か?女か?」
「シュテン貴様は少し黙れ」

 二人のやり取りにケラケラと笑っていた所に、黄龍のゼノが顔を出し四龍たちを呼んだ。
 これから彼らは兵士達に稽古をすることになっているらしい。

「んじゃまた後でな、お二人さん」
「頼むぞ、シュテン、グエン、アビ……ゼノ」

 緋龍王が皆を送り出した後、隣で椅子に座っていた白狼にゼノは大丈夫だろうかと問う。
 またその話か、と我が子を心配する父親のように緋龍王はゼノが心配で仕方がない。それはただ可愛いからとか、そんな理由だけではなかった。

「……心配するな、と言ってもお主には無理であろうな。緋龍王」
「ハハ…、まぁな」

 黄龍の血を持つ者として、ゼノは徐々に自分の体に気付き始めている。

「黄龍が何故、ゼノを選んだのか。私達が心配したとて仕方なかろう。お主は自分の体の心配だけしてればいい」
「こりゃ手厳しい。白狼、ゼノのことは頼んだよ」

 緋龍王にとって白狼は大事な友であり、戦友であり、そして───―

「白狼よ。いい加減、私に其方の名を付けさせて―――」
「嫌デス」
「むぅ…早いな」
「我は白狼と呼ばれるのが性に合っておる。女の名など要らぬ」

 そう、戦場に女があってはならない。
 性別という枠組みではなく、気持ちの問題だ。

「だからと言って、男の名を授ける訳にもいかぬからなぁ」
「何故、そのように名前に拘っておるのだ」
「私が呼びたいからだよ」
「あ……そう」

 それだけの理由かと、勝手に深く考え過ぎた己が恥ずかしくなる白狼。

 ちなみにどんな名前を考えていたのか問うと、いくつか述べた名前の中にあった""という響きが、白狼に心地よく聞こえた。
 不覚にも嬉しくなってしまった気持ちを誤魔化すように、フーンと興味無さそうに返事を返し、それより寝てなくていいのかと問う白狼に、今日は体調が良くてなとほわわんと笑う緋龍王。本当にこの男が戦場で闘っていたのかと疑わしくなる。建国神話に緋龍王はアホ面だと書き足しておこうかと思う白狼だった。







「で、俺の事はカッコよく書いてくれたか?」

 シュテンが建国神話の進捗を聞きに白狼の部屋に入る。
 いつものように、勝手に入るとは教育し直してやろうとかと説教をする白狼――――のはずが、今日はやけに大人しかった。普段の彼女は何処へやら、ただボーっと窓の外を眺め、声を掛けたシュテンにすら気付いていない。

「……あ、シュテンか。どうした?」

 漸くシュテンの存在に気付いた白狼だったが、彼が勝手に部屋に入っていた事を咎める事もせず、どうしたとボーっとしたまま聞いた。

「あ、いや……お前がどうした?変なモンでも食ったか?」
「……ハハ、面白い冗談だな」
「おいおい…本当にどうしちまったんだよ」

 いよいよ本格的に彼女の事が心配になってきたシュテンは、何かあったのか。と、とりあえず聞いてみることにした。

「……あった、のかもしれない……やっぱり違うかもしれん」
「はっ?どっちだよ」
「人というのは……難しい生き物だな……」

 哲学的なことを言い出した彼女に、あんまり難しい話しなら俺は相手にならねぇぞと先に伝える。しかし、待てども待てども、中々ハッキリしない白狼にとうとうシュテンは声を荒げると「十文字以内で述べろッ!」と言った。

「……胸が、苦しい」
「は?病気か?それなら医務官に、」
「見て貰ったが、どこも悪くなかった…」
「じゃあ、なんだっつーんだよ。未知の病にでも掛かっちまったか?獣神なのに情けねぇなー」

 確かに情けないな、とポツリ感傷的に言葉を紡ぐ彼女が、窓の外から何かを眺めていた。何見てだよ、とシュテンも外を覗くと、そこには緋龍王と女官たちの姿があった。緋龍王は城に居る者や、高華国の民からも愛され、そして慕われている。自然と人が集まってくるのは、いつも通りの光景だった。

「おっ、緋龍王じゃねーか。まーた女官たちに囲まれやがって。ヘラヘラしてんじゃねーっつの、俺にもちったぁ回せよなぁ」

 文句を言いつつも緋龍王が大好きなシュテンは笑う。だが、隣にいる白狼はどうだろう。何かに焦がれるような視線を彼に向けていた。彼女が苦しいと言っていた理由が分かってしまったシュテンは、なるほどねえと呟く。

 彼女が獣神であったとしても、つい最近人間と同じ体となった。つまり、四龍たちと同じ条件で彼女は生きることを望んだのだ。本体が人の身となった今、狼に変化すれば、それなりの負担が体に返ってくる。
 そして、たった今彼女が苦しんでいる理由……それは、

「王は、誰をお后に選ばれるのだろうか……」
「さぁな……。ま、四龍の俺には知ったこっちゃねぇ話しだ」

 人の身になって、初めて緋龍王が好きだと無自覚ながら気付いてしまったのだ。

 つい先日、緋龍王の血を継ぐ者として次の王を育てるべく、世継ぎを残されよと神官が王に自ら話していたのを、近くを通り掛かった白狼が聞いてしまい、それから胸が苦しくて仕方なかった。恋のこの字も知らないんだろうなあと人間なり立ての赤子の如く白狼を見て、ハッキリ言ってやろうかとシュテンは言う。
 何を言われるんだと、ごくりと喉を鳴らした白狼を指差し、シュテンは面白い玩具を見付けた子供のように笑った。

「それは恋だ!」
「………は?貴様何を言ってるんだ。私は王を敬愛しているが、それは」
「それは?」
「そ、それは………」

 無意識に頬を赤く染めて口ごもった白狼を見て、シュテンがいじめっ子のようにニヤニヤしていると、聞き慣れた声が二人の名前を呼んだ。えっ、と驚いて二人共が振り向くと扉の前に立つ緋龍王の姿。中庭に居たんじゃ、と口にしたシュテンに、少しだけなと緋龍王は笑った。

「何を話しておったのだ?」

 楽しそうな会話なら私も混ぜてくれと部屋に入って来る緋龍王。シュテンは白狼を一瞥すると、彼女は何処か安心したような顔をしていたので、心成しか彼の中でそれが腹立たしく思えた。彼もまた彼女が王を想うように、彼女を想っていたのだ。

「王様、この獣神はアンタの事が―――」
「緋龍王は私にとって友だ!戦友だ!それ以下でもそれ以上でもない!」

 捲し立てるように言い白狼は部屋から飛び出して行った。
 あーあ、行っちまったと呟くシュテンに、そんな彼を見て緋龍王は邪魔したかと苦笑する。別に、とシュテンは少し不機嫌な顔をしながら、白狼の愛用している椅子にドカッと座ると机に頬杖を付いた。

「……本当は、ずっとそこで聞いてたんだろ」
「おや、気付いていたか……。シュテンも白狼が可愛くて仕方がないのだな」
「ばっ、ちげーよ!ちげーっつの!そんなんじゃねえ……」
「素直じゃないのは良くないぞ、シュテン?」
「王様に言われたかねぇよ。本当は白狼のこと―――」

 それ以上はいけないと緋龍王はそっと人差し指を自分の口元に持っていくと切なげに微笑む。

「ケッ……あいつに気持ちを伝えなくていいのかよ」
「……それは、どうだろうな」
「白狼がいずれ自分の気持ちに気付いたとき、既に王様がお后様を迎えてた、なーんて手遅れなことがあったら……」

 話しを聞いていた緋龍王が見せた表情が、シュテンの中で確信に変わる。王が本気でお后を迎え入れようとしているのだと分かり、なんでだよ…とシュテンは平常心を装いつつも声が強張っていた。

「自分の気持ちも、アイツの気持ちも分かってて…なんで、そんな風に笑えんだよ、王様ッ!!」
「彼女を…愛してるからだよ」

 椅子から身を乗り出して掴みかからんとするシュテンだったが、真剣な眼差しでそう口にした緋龍王を見てフッと笑うと椅子に重心を戻した。漸く本音が出たか、とシュテンが口元に笑みを浮かべていると、緋龍王が私は彼女に想いを伝える気はないとも言った。

「たとえ彼女が私に気持ちを伝えたとて、それを受け入れることは出来ない」

 緋龍王の気持ちは、もう誰かが動かせるような簡単なものじゃないと感じた。

「……じゃあ、俺が掻っ攫う」
「それは駄目だ」
「どっちだよ!ったく……めんどくせぇな、俺たちの王様はよ」

 気持ちを受け入れないと言いながらも、掻っ攫うと言われれば駄目だという。
 緋龍王がこんなにも我儘で傲慢な男だったことに、初めて気づかされるシュテンだった。