先日は約束を守ってくれたテジュンの頑張りもあり、火の部族の兵たちは戻って行った。
どうやら彼は以前の我儘っぷりな性格とは違うように見えたのか、ほんのちょっとだけ信用してもいいんじゃないかという気持ちを持つヨナ一行。それでも疑い続けなければいけないのは、護るべきヨナがいるからだった。彼女が許した分だけ、他の者が目を光らせておかなければいけない。
早朝、テジュンが三回約束を破る夢を見たと言い、ハクは寝起きから不機嫌丸出しだった。
それに、もう来ない、なんて保証はどこにもないのだ。
「ねえねえ、ハク。あそこの茂みになんかいるんだけど」
「なんかって、何だよ」
鳥を捌いていた包丁を片手に、もう一方の手でハクの肩をちょんちょんと突いて茂みを指差す花子。ハクは面倒臭そうにしながらも足音を忍ばせて近付いた。その後ろを付いて歩いていたは、ほらね、と未だ此方に気付いていないテジュンが風呂敷に包んだ何かを持ってソワソワとしていた。
彼の背後に二人でしゃがみ込むと、いつ気付くかとジーっと観察する。漸く気付いたテジュンが二人を悪魔でも見たかのような恐怖と驚きの表情を浮かべるのだった。
「ウーン…見間違いかな? どうも先日騒動起こして去ってった次男坊が見える」
「次男坊って、カン・テジュンだっけ?」
「ひ……人違いだ………」
へえ、と笑ったが持っていた包丁をドスッとテジュンの左頬を掠めるか掠めないかの距離で背後の木に突き刺す。どうやらハクも同じことを考えていたのか持っていた大刀を右側に突き刺していた。
「そっかぁ。人違いなのか……曲者はどうしてやろっかなぁ」
「死刑だな」
「わーーーっテジュン!カン・テジュンですーーッ!」
漸く名乗ったテジュンに、ハクは突き刺していた大刀にグッと力を入れて更に押し込むとハハンと笑った。
「そうか。超曲者だな。死刑」
「どっちにしろ死刑!?」
ヨナに会いたくて来たらしく取り次いでくれとお願いされる。三回約束を破る夢を見たハクは慎重にしているのか、ただテジュンをジーっと見て観察していた。
がテジュンに今日の今朝の不機嫌なハクの話しをしてやると、彼は思い切り顔を蒼褪めさせていた。脅すつもりは無かったのか、テジュンの肩をバシバシ叩きながら冗談だってーとは言うが、二人の恐ろしさを知っている以上ただの笑えない冗談にしか聞こえない。
テジュンが思い出したように持っていた風呂敷を二人に見せると、それをヨナに渡したいと言った。
まあ、この感じだと一人で来たんだろうとハクとは顔を見合わすと、ハクがテジュンを引っ掴み、がその風呂敷を抱えるとヨナのところへ向かう。ヨナはキョトンとした顔を見せ、キジャもまた来たのかとテジュンを見て呟いた。
テジュンが差し入れを持ってきた事をヨナに話すと、彼女は嬉しそうにありがとうとお礼を言う。
包みを開けたは、それが重箱に入った豪勢な料理に目をパチパチとさせた。こんな料理見たのは久しぶりだと、キジャを呼ぶと口を開けさせてその中に放り込んだ。味はどう?と尋ねると美味しいと答えたので毒は入ってない。
がヨナに食べれますよと重箱を渡すと、キジャは自分が毒味をさせられたのだと気付きショックを受ける。
「キジャの躰って丈夫そうだなぁって思って。ごめんね?」
「い、いえ……お役に立てたの、なら……」
悪気のあるのか無いのか、あまりも普通に言ってきたにキジャはガクッと肩を落とすのだった。
◇
それからテジュンは事あるごとに食糧を持ってくると、村人たちに配っていた。
最初は警戒していた四龍たちも、彼のヨナを見詰める姿が同情心を擽ったのか悪い者には見えないと心の中で思うのだった。
彼なりにどうすればいいのか分からないなりに模索して、きちんと行動で示している。その原動力がヨナの為という邪な理由があったとしても、いずれ彼は何をすべきか気付くんじゃないかと、は彼をソッと見守ることにした。
小屋の壁を修理していたは、ユンとテジュンが何やら話し込んでいる様子に視線が向く。ユンの口の動きと表情から、きっとテジュンの言動に対して何か言い返しているのだろうということは分かった。そんな二人の会話を聞いていたのか、ヨナが話しかけるとテジュンを連れてその場を離れる。
「そっか、今日はミレイおばさんの所か」
「あ? なんで姫さんがテジュンと二人で行こうとしてんだよ」
「さっきユンとテジュンが話してるの見たけど、少し変だったかな。ヨナが気を遣ったんだと思う」
「……で、お前はなんで修理道具を袋に仕舞ってんだよ」
「え?」
え?じゃねえっつの。そう言ってハクはの頭を軽く叩くと、ヨナが心配なのは私だけじゃないでしょ、と道具を仕舞って立ち上がるとは言った。
彼女を護る使命が自分たちにあるんだからとは笑い、ハクの腕を引っ張って彼女たちの後を追った。
予想通りミレイおばさんの家に入っていくヨナたちを見て、二人は家の外から護衛兼見張りをする。ミレイおばさんの憎まれ口にテジュンがあわあわしていた。パッとしない、なんて言われる彼に笑わないはずがない。
ハクが笑いを堪えるをチラッと見ると、何笑ってんだかと呆れ顔になっていた。
「あ、ミレイおばさんが色男ハクを指名してるよ」
「うっせ」
二人で家の中に入ると、ハクは早速ミレイおばさんに按摩を始めた。幼い頃は良く二人でムンドクの按摩をしていたので、どの辺を揉んでやると気持ちいいか分かっている。も彼女の腕や手の平を優しく揉み解してやると、血行促進したのか指先が温かくなっていた。
ありがとねえ、と小さく呟いたミレイおばさんの言葉は、確かにの耳に届きフッと目元を綻ばせた。
しかしハクがミレイおばさんを年寄り扱いした所為で、男二人は拳骨を食らい、何故自分までとテジュンは涙目になっていた。ハクが褒められたのが悔しかったのか、テジュンは後は自分がやるからハクに出て行けと小屋の扉を開ける───が、直ぐに閉じた。
明らかに誰かが居た。見逃さなかったは、今のって…と青ざめた顔のテジュンに聞くと役人だと答えた。その中にフクチも居たと言い、それはマズイなあとは顎に手を当てて考えるポーズを取る。
「やばいっ、私がここにいる事がバレたら……兵舎の食糧持ってきてるのに」
慌てるテジュンにハクが食料泥棒はコイツですって差し出すかと冗談を言う。
テジュン以外は、冗談を言えるだけの余裕があった。が部屋の隅にあった布団を指差して、あそこの中に隠れようと提案する。しかし、四人が一緒に隠れるとなれば不自然な膨らみが出来てしまうのではないかとテジュンは思っていたが、有無を言わさずハクが彼を一番最初に布団へ投げ入れると、それに続いて三人が一斉に布団に潜った。
ミレイおばさんは肝が据わっている。だからこそ、この状況を切り抜けれるだけの弁があるはずだ。上手く丸め込んでくれることを願って、四人は息を潜めることにした。
布団の中ではヨナの隣にテジュン、その上にとハクが乗っている状態だった。
ヨナの上に乗っかっていたは、布団に潜る際にバランスを崩してしまい仰向けになり、そしてその上にハクが覆い被さっている。息を潜めているにしろ、ハクの顔が彼女の首筋に埋まっており吐息が直に掛かっていた。ドッドッと心臓の音が大きくなっていくのが自身でも分かる程だ。
そんなのを彼に聞かれてしまうのは、些か恥ずかしいと目をぎゅっと瞑っていると、首筋にぬるっとした生温かい感触がした。なに、と思わず躰をビクつかせていると、次第に息をすることも苦しくなってきた。
兵士たちが出て行くと、扉が閉まる音が聞こえる。四人は布団から姿を現すと、ヨナが自分たちの事を探しているのだろうかとハクと話し始めた。
未だに鳴りやまない大きな心臓音に、ああもう嫌だと耳まで真っ赤にしていたは彼らに背を向けたまま胸を押さえる。彼女の様子がおかしい事に気付いたテジュンが声を掛けようとするが、話し終えたハクが彼の言葉を遮り彼女の腕を掴むとミレイおばさんの小屋から出て行った。
◇
そのまま人気の少ない森の中まで連れて来られたは、木を背にハクに両手で逃げ道を塞がれてしまう。顔の横には彼の腕があり、目の前にはただジッと見詰める野獣の瞳がの視線を捕えて離さなかった。
「な、なに……? ハク、少し怖いんだけど」
「ああ、そうかもしんねぇな。俺も男だし」
「何言って、」
「俺をこんな風にするのはだけってことだよ」
ハクの顔が鼻先まで近付けられると、またの心臓は跳ね上がる。
嗚呼、食べられてしまいそうだ。
そう思った時には、二人の距離はゼロになっていた。優しく啄ばむような口付けを何度か繰り返されると、解放する気は更々ないハクは彼女の唇の隙間から舌を捻じ込むと求めるように探り当て絡める。
拒もうと思えば拒めるはずなのに。
そう頭の中で分かっていても、気持ちと体は正直だった。
思考回路が麻痺して、考える事も億劫になる。
「ハ、ク……ッ、ん」
「まだ、だ」
酸素が欲しくて、口端の隙間から僅かに吸えても直ぐに角度を変えて塞がれる。頭が馬鹿になりそうだ。
漸く離れた唇を虚ろな表情で見ていたは、力の抜けそうな足で必死に踏ん張っているのがやっとだった。
「なあ、お前が嫌がんねぇってことは……俺も、少しは期待していいってことなのか」
の肩に顔を埋めてそう言ったハクの表情は見えないが、声色が弱々しかった。
いつも頼り甲斐があって強いはずのハクが見せる弱さに、彼の想いが痛いほど伝わってきた。
彼がこんなに求めてくれているのに、自分はいつまでも背中を向けている。可哀想なことをしているのは一体どっちだろうと考えた。いや、考えずとも答えは出ているじゃないか。はそこまで考えると、ハクの名前を呼んで顔を上げさせた。
そっと両手を彼の頬に添えると、全てが片付いたら一緒になろうと微笑む。
するとハクは予想外だったのか彼女の台詞に目を丸くすると動きを止めた。固まったままの彼を不思議そうな表情で見ていたは小首を傾げる。
「……ハク?」
「マジか……………はぁぁぁぁぁ…」
「え、なに。その大きな溜息は」
「女のお前に越されちまった……」
「だから、何がよ」
これは男として非常に大問題である。
いっそのこと思い切って、ハクは全ての事をぶっ飛ばすことにしたのか、にもう一度口付けを落とすとぎゅっと抱き締めた。
「俺と、結婚しろ」
今度はがキョトンとする番だった。そして脳内の八割以上が占める「命令形?」という疑問。
まあいいやと笑みを零した彼女は、そっと彼の背中に腕を回しぎゅっと抱き締め返した。