眠れないまま、次の日を迎えた。
は顔を洗いながら、ずっと自分の事について考えていた。
白狼に聞いてみても、彼女も分からないとだけ答えたきり、返事をしてくれなくなった。また余計なことを考え始めていると自分の頬を両手で軽く叩くと気合を入れる。自分の事を知るのはいつだって出来るし、今やるべき事は沢山あるのだ。現を抜かしている場合ではない。
そして来る日も来る日も、結局、自分が何者なのか考えてしまっていた。集中力が足りないのだろうかと躍起になっていると、偶々通り掛かったヨナがを見るとキラキラした目で此方にやって来た。この目は何か企んでる時の目だ。
「ねえ、」
「…はい、何でしょうか?」
「剣術を教えて?」
「ハクには?」
「断られちゃったの。だからに教えてもらおうと思って」
「じゃあ駄目です」
ハクが駄目と言ったのなら、それは自分も駄目に決まっていると断るとヨナは頬をぷくーっと膨らませた。そもそも、彼女に武器を持つ事を許したのは弓までだ。
それに、剣術は子供の頃から体を鍛えてないと、中々出来るものではない。彼女が努力家なのは認めるとして……、それでも運動神経は良いと思えない。
「だって女の子なのに、剣術も弓術も武術も出来るじゃない!」
「…だったらヨナも出来る、と?」
「やってみなきゃ分からないわ!」
その根性は褒めてあげたい。
では、その木の棒をあそこの木に叩きつけてください、とは指差し言う。木の棒と言っても強度は剣ほどじゃない。本物はもっと固くて重くて、彼女が持っていられるか分からない程だ。
「えい!キャッ!?」
見事に木の棒は弾かれて彼女の手から離れ飛んでいく。
今度はがその木の棒を拾い、同じように木に叩きつけると見事に真っ二つになった。凄いわ…と感心するヨナに対し、はこのぐらい普通ですとわざと棘のある言い方をした。
「私は幼い頃から修練を積んでおりましたので…。ヨナが努力家で根性のある方だと分かっています」
しかし、実際の剣は重量もあり場合によっては身の丈に合わない武器も手に取ることになる。そうなった時、貴女は戦場で敵意剥き出しの兵士の刃を受け止めることが出来ますか…、そうは問う。
普段の彼女とは違い、武人のオーラを纏うがヨナには別人に見えた。ごくりと固唾を飲んだヨナの口からは、反論する余地のない声にならない声。
同じことを男相手に言われて、女だからって嘗めないでよと言い返す事とは違う。
「……それ、は」
「中途半端な気持ちじゃない事は分かってますから。もっと周りを見て貴女がどう在りたいか……それからでも遅くないはず」
分かったわ、と無理に笑っているヨナを見るのは辛かった。
それでも、彼女に今以上の困難が訪れた時、一人でも立ち向かう勇気を持って欲しい。その為の道を、私達が切り開くから…。そう心の中で思いながら、は自分の前から去った彼女の後姿を見詰めた。
◇
「……で、自分で言っておいて、へ込んでんのかよ」
「時には厳しくすることも、私達周りの大人がしてあげなきゃいけないことでしょ……うぅ」
結局、自身の特訓にも身が入らなかったを見掛けたハクが、何かあったのかと声を掛けてヨナと話した事を全て明かした。まあ俺なんてもっと酷いこと言ってるしなぁとハクが言うと、それでもヨナが食い下がらなかった事を知っていたは、何で自分の時はそうじゃなかったのだろうと更にへ込む。
「姫さんなりに考えがあんだろ。今回の短い旅でも色んなもん経験して成長してるし、それを俺らは見てきた。中途半端な気持ちじゃないって事も理解してる」
だからお前も心を鬼にしたんだろ、とハクは彼女の頭をぽんぽんと撫でる。ハクに慰められるなんて不覚だと涙目になりながら言う彼女に、お前なぁとハクは呆れていた。
「まぁ…あの諦めの悪い姫様の事だ。何か手を使って俺らを説得させようとしてくるぜ」
「だよねぇ……ハァ」
「なんだ。まだ慰め足りないか?」
「そういう訳じゃ」
「じゃあ元気出せよ。皆が心配すんぞ」
今度は頭をくしゃくしゃと荒っぽく撫でるハクに、私は子供じゃないと反論して手を払い除けた。いつもの調子が戻ってきたを見てハクは笑う。
皆が心配する───その言葉だけでにとって充分過ぎた。
次の日、ヨナがハクの懐から短剣を持ち出そうとした話しを聞いて、ああやっぱりかとは苦笑する。相変わらず無茶をする子だと、は弓の練習をしていた。
「ねえ、白狼。聞きたいことがあるの」
(……なんだ?)
「私の射つ矢に、白狼の力を宿すことは出来ない?」
(面白い事を言う小娘だ。出来ないことはないが───)
「……なに?」
(やって見せた方が早いだろうな。構えてあの岩を狙え)
手頃な小岩を狙っていたに、もう一つ隣のやつだと白狼は言う。それを見てはぎょっとする。それは想像以上に大きな岩だったからだ。
弓を構えるの矢尻に青白い気流が現れ、白狼の合図で矢を放つとそれは岩に向かっていく。そして刺さると思われたそれは、物凄い威力で岩を破壊した。これは穴があく以前の問題だとは固唾を飲む。
(ふむ…少し力を込め過ぎたか。もう少し控えめにしておこう)
「お、お願いします……」
周りに人が居たら被害はどうなっていただろうかと、考えるだけでユンの説教する顔が目に浮かんだ。
「ねえ、なんか凄い音がしたんだけど、大丈夫?」
「ジェハ…、あ、うん。なんでもない、ちょっと岩が崩れた音というか」
「え?それちゃんがやったの……?」
「ま、まっさかぁ!私が弓でこんなこと出来る訳ないじゃーん!ハハハッ」
「…すごかった……」
「「っ!?」」
ジェハと二人だけかと思われた場にシンアが姿を現し、その現場を見ていたかのように言った。やっぱり彼女の仕業だったかと納得するジェハに、シンアは彼女が弓で岩を砕いた事を説明した。シンアは嘘を吐かない性格故に、それが事実であることは明確となり、どうやったの?と興味津々にジェハに詰め寄られる。
簡単に説明をして、今度は先程より少なめの力を注いでもらい岩に向けて射ち込むと、岩に軽く穴があき周りに亀裂が入った。
「へえ、凄いね。いつの間にそんな事が出来るようになってたんだ」
「今さっき白狼に私から相談したの。彼女の能力を無駄にしたくないと思ったから…」
だからといって、この力に甘えようなんて思ってないと言ったの声は凛としており、彼女も自分で何をすべきか模索してる最中なんだと思いジェハは顎に指を添えると微笑んだ。
「僕らのお姫様たちが、こんなに強くなっていくなんて…負けてられなくなったよ」
「たち……?」
「おっと、これ以上は有料だよ」
ジェハは有料だと言い口を割る気はないようだが、絶対にジェハがヨナに余計な事を言ったか、やったか、やらかしたか、のどれかに決まっている。ゴゴゴゴと地鳴りでもしそうな雰囲気で近付いてくるの顔は笑っているはずなのに般若のように恐ろしく、ジェハの話しに無関係のシンアも彼女の顔を見て体を震わせた。
「ヨナに何したのかな。したんだよね?したに決まってるよね」
「すっごく誤解してる!誤解してるから…!それに僕は、」
「僕は?なに?」
「……ヨナちゃんに短剣を奪われました」
その場にジェハを正座させて仁王立ちで睨むに、シンアがヨナを何処で見掛けたか教えてくれた。はジェハに振り返ると、あとで覚えておけよと言い残してその場を去った。
残された二人は、次からはもう彼女を怒らせまいと思うのだった────
◇
ヨナの居場所を教えて貰って森の中を歩くこと数分。
雲行きが怪しいことは分かっていたが、とうとう振ってきた雨から逃げるように木の枝を伝って移動する。ヨナの姿を発見したは、そこで短剣を何度も振って練習をしている彼女の姿に微笑む。やはり、自分がどんなに冷たい言葉で駄目だと言ったところで彼女が聞くはずがないのだ。
ムンドクを師に稽古をしていた頃の自分にそっくりだと思った。
そしてが声を掛けようとした時、先にヨナの前に姿を現したのはハクだった。
自分の出る幕はなさそうだと思い立ち去ろうとしたが、ハクは此方に気付いていたのかの名前を呼んだ。
「おーい、居るんだろー」
「ハイハイ、居ますよっと…」
「!?いつから……」
「少し前からです。それ、ジェハの短剣ですよね」
「あっ……ジェハから聞いた?」
「いえ、私が口を割らせました。ヨナに奪われるなんてまだまだですねって」
そう言ったに、ヨナはクスクス笑っていた。
風邪を引くからと岩陰に三人で入ると雨が止むのを待つ事になり、ヨナは少しの機嫌を窺うように何度か顔を見ていた。
「雨はまだ止みそうにないな…。姫さん、外套はどうした?」
「置いて来ちゃったわ……」
「ハァ、仕方ないですね。これ被ってて下さい」
ハクがヨナに羽織りを頭から被せるのを、壁に凭れながら眺めていたは、そのまま視線を外に向けると眉間に皺を寄せた。
少しだけ、胸が痛んだ。
ハクがヨナに優しいのは昔から見てきたことだ。今更どうということはない。
なのに、チクチクと針が刺すように胸が痛くなる。
「……、怒ってるわよね」
「えっ?」
急に話しかけられて、思わずハッとなりヨナを見ると、彼女は申し訳なさそうな表情で視線を下げる。
きっと、剣術を諦めきれない事を言っているのだろう。はフッと笑うと、もう隠し通すことは無理だろうと本当に思っている事を打ち明けることにした。
「…少しだけ、恐くなったんです。貴女が成長していく中で、今の貴女が、この高華王国を支えんとするヨナ姫だって、民や城を追い出した者たちに見せてやりたい……、そう思ってしまう自分がいることに」
「そうだな…。俺たちの姫さんは、誰よりも強く生きている、ヨナ姫はここにる……ってね」
「二人共……ッ、なに、らしくないこと…言って……っ」
照れ隠しをするように視線を反らし、それでも嬉しそうにするヨナを見て二人は微笑む。
「……今のは、忘れて下さい」
「…もう、遅いわ。忘れない」
そう言って涙を流しながら微笑んだヨナ。
彼女はきっとまたその手に剣を取るだろう。
いつか、その笑顔を高華の大地に咲かせて欲しいと切に願った。