がらりと雰囲気を変貌させたヨナの姿に目を奪われていたハクとや、あの可愛らしかった頃のヨナを知る兵士たち。ハク全身に回る毒のせいで、何度か膝を付きながらも立ち上がり戦い続ける。だが、兵士の渾身の一撃がハクの胸を切り裂いた。その衝撃にふら付き、ハクは崖から足を踏み外してしまうと一気に重力が下方へ押し寄せた。咄嗟に伸ばした手で崖端を掴むと、じりじりとにじり寄って来る兵たちを見上げ睨み付けた。

 ヨナはハクを助けようと駆けだすがテジュンに髪の毛を掴まれ阻止されてしまう。
 にとって優先すべきはヨナだ。しかし、テジュンがヨナに危害を加える可能性はゼロに等しい。ハクの下へ駆け寄ったハナコは、彼の袖を噛んで崖から引き上げるために踏ん張った。

「おいっ、…ッ!離せ!お前も巻き込まれる!」

 離してなるものかとハクの言う事に耳を貸さず離れないに、火の部族の弓兵が彼女に向かって毒矢を数発撃ち込む。放たれた矢は脇腹に刺さり一瞬怯んだは、痛みに耐えながら噛み付いた袖を離そうとはしなかった。しかし、の体を毒が徐々に浸食していく。獣神でありながらなんたる無様なことかと心の中で自分自身に笑いそうになった。

「ハク、私はお前を死なせない!主様と約束したから…ッ」

 すると、後方が騒がしくなり、ハクから離れなさい!とヨナの声を背中に感じ、彼女がテジュンの下から逃げてきたのだと分かった。

「ハクを助けてくれて有難う、オオカミさん」

 ヨナは剣を構え兵士を睨みながらハクを掴んで離さないでいたにお礼を言った。彼女は囲っていた兵士たちに身の丈に合わない重さの剣をふらつきながらも振り牽制した後、と同じようにハクの腕を掴んだ。

「ハク!死んだら許さないから……ッ!!は何処に居るの!?早く来て…っ」
(主様、私は―――は此処に、おります)

 は優しい声色でヨナへ向けて思念を送った。直接脳内に届いたハナコの声を聞いたヨナは、え、と声を漏らしたあと隣の白狼を見て言葉を失う。……が、ふと微笑み「…よかった」と安心したように呟いた。自分が人ならざるものであることに、ヨナが拒絶しなかったことに、は今にも泣きだしそうな気持ちになる。一番、嫌われたくない人に、自分の本当の姿を見ても恐れず、ただ一言「よかった」と微笑んだくれた。

「お前たち…!ハクから姫を引き離せ!」

 テジュンの声にハッとした兵士たちは引き離しに掛かろうと近付く。

 ―――が、それは一瞬だった。
 とヨナの足元が崩れ、奈落の底へと体が落ちていく。

 ハクはヨナの体を庇うようにして抱き締めると、はそんな二人を守ろうと崖の側面を伝って駆け下り二人に向かって飛びついた。
木々の茂みや、二人の下に回り込んだがクッションとなり一命を取り留める。何とか生き延びたハクとヨナだったが、気を失っており目を閉じたままだった。狼の姿の時とはいえ二人の下敷きになったのだからも掠り傷では済まない。人の身に戻ってしまった彼女は、頭から血を流し撃たれた矢の傷口からも大量に出血をしていた。

 何とか意識を保っていただったが、朦朧とする視界で捉えたのは一人の少年だった。そして彼が放った「めんどくさ」の一言は、きっと三人に向けられたものだろうと、小さな笑みを零すとそこで意識を手放した。







 意識を取り戻したのは、崖から落ちて三日後のことだった。

 どうやら三人の中でが最後だったらしく、目を覚ました彼女を見てヨナは安心した子供のように泣きじゃくった。泣かないでくださいと言って手を伸ばしたいはずなのに、痛くて動かすことも出来ない。ハクが治療をしてくれた少年―――ユンを連れて来るとの包帯の巻き直しと食事の用意をしてくれた。ユンが食事を与えようと器を手にした時、その役目は自分にやらせて欲しいとヨナが言う。別にそれは構わないけど、と彼女に器を渡すと最初に飲み水をに与え、その次に少しだけ匙で掬った粥を食べさせた。がゆっくりと口を動かし咀嚼しごくりと喉に流したのを確認すると、良かった、と嬉しそうに言った。

 その様子を見ていたハクもヨナの横に座ると、生きているのが不思議なぐらいだとさ、とユンに聞かされたことを口にする。そうか此処は天国ではないのか、と口元に薄っすらと笑みを浮かべて、ヨナに食事をさせられること自体が嘘のようで、やっぱり天国なんじゃないかと思えた。

「でもさぁ、アンタ本当に人間なわけ?体に毒矢が刺さってて、傷口が塞がるのに数日掛かるっていうのに三日で塞がっちゃってるし」

 ユンは包帯を巻き直した時に傷の状態も確認していた。本来ならもう少し時間のかかる傷も、たった三日で塞がり完治していた。体の中まではどうにもならないので、これからゆっくり療養してもらう必要があるとしても、彼女の回復速度は異常だという。
 何となくその理由を分かっていたハクは、まあこいつそもそも人間じゃないっぽいし、と心の中でツッコミを入れるのだった。

「でも、が生きていてくれて良かった……本当に、よかった」
「………、」

 目覚めたばかりでまだ喋ることも体を動かすことも出来ないは、彼女の流す綺麗な涙を見て、喜ぶ姿を見て、それだけで嬉しかったのだ。自分の為に泣いてくれる人がいる。悲しんで、喜んでくれる人がいる。だから、人間は愛おしい――――



 数日経ち喋れる程に回復したに、神官の話しを聞かせたのはヨナとハクだった。ここが彼―――イクスの隠れ家であり、今も神の声を聞き続けている場所だと。三人共ボロボロになってしまったけど、ちゃんと目的の場所に辿り着くことが出来たのなら良かったとは胸を撫で下ろした。

「……で、。急かすようで悪いんだが、お前の話しを聞かせてもらえねーか」

 いつか、自分が一体何者なのか聞かれる日がくると分かっていた。
 すると、ユンが軽く咳払いをするとを見る。

「えーっと、それ、俺も聞いて大丈夫な話し?席外そうか?」
「別にユンに聞かれても大丈夫。あなた口が堅そうだし」
「そりゃどーも」

 誇らしげにするユンに対してフッと笑みを零すと、はヨナとハクが気になっていたであろう白狼一族のこと語り始めた。古来より緋龍王に仕えていた獣神であること。一族は何者かによって惨殺され、城下町の町医者の所に居た自分だけが生き延びていること。そして、ヨナに渡した笛が白狼であるにしか聞こえない音色であること。
 最後に、スウォンが白狼一族のことを知り、を捕まえ何か企んでいることをムンドクに教えてもらったこと。

 全てを話し終えたは、フゥと小さく息を吐いて三人を見た。

「じゃあ、昔スウォンが見たって言ってた白狼は―――」
「私のことだと思う。私もスウォンと目が合ったし」
「やっぱりか……」
「なに?どういうこと?」

 二人の話しに付いていけないヨナは、ハクとを交互に見ると教えてよー!と、の肩をガクガクと揺らした。

「オ、オイ!姫さんそんなに揺らすなって怪我人なんだから!」
「えっ?あっ!ごめんなさい!」
「い、いえ……げほっ、大丈夫です、ハイ」

 思わず咽てしまったが、ヨナの力は怪我人のが相手でも大したダメージではない。

「あの、主様」
「なぁに?

 ずっとヨナに対して思っていた事を言おうか、口を開いては閉じを繰り返す。
 別に彼女を信じてないわけじゃない。ただ自分の心が弱いだけだと、恐る恐る言葉を紡いだ。

「私の事は…その、怖く、ないのですか?」
「怖くない、と言ったら嘘になっちゃうかも。初めて見た時は怖かったわ」

 正直に話してくれるヨナの言葉に耳を傾けながら、やっぱり怖がらせてしまったんだとは湯呑を持つ手に力が入った。

 でもね、とヨナは微笑むとの頬にそっと手を差し伸べ触れる。

「私にとってでしかないのよ。命がけで私とハクを助けてくれてありがとう。貴女が生きていた事が本当に嬉しかったわ。父に言えなかった感謝を、貴女にも言えなくなるかと思ったら……、それがとても怖かった」
「主様……」
「けど…っ、次は絶対に無茶だけはしないでよね!?ハクもよ!」
「は、はい」
「へいへい」

 ぽんっとハクの大きく温かな手がの頭に触れると、くしゃりと撫でた。

 それは、心の奥がとてもポカポカするものだった。