風牙の都を去ってから一週間、周囲に注意を払いながら断崖の間道を通っていた。ヨナを間に挟むようにして先頭にハク、後方をが歩く。ヨナには髪の色が目立つからと布を深く被るように指示していたが、流石に足場の悪い道は体力の疲労も早い。ヨナの体調を気遣いならが途中で休憩を入れたりと、目立たず歩いているところで、ハクは神官様はいねぇなと遠い目をしていた。
三人は神官の話しをムンドクから聞き、ヨナの行くべき道を示してもらう為に探している。風の地の人里離れた場所に住んでいると聞き歩いて来たものの、流石に崖上に人が住んでる気配はない。三人でもっと先を歩くか話していると、ふとは複数の足音を察知した。ハクにも目配せをすると、彼も崖に耳を付け確認するとフッと笑う。
「足音……40……いや、50か」
「追手か…、もう私達を追う気なんて無いと思ってたけど」
「こりゃまた、気合の入った数字だな」
がヨナを背に隠して矢筒から矢を数本手に取ると、二人のその前でハクは大刀を構えた。三人の目の前に現れた複数の兵たちを見て、は直ぐに何処の部族か気付く。
「あの装備は火の部族か。中々しつこい」
「ま、火の部族のしつこさは高華一なんじゃねーか?」
昔、カン・テジュンがヨナに言い寄っていたところを、ハクとが助けたのは言うまでもない。高華王国の王位を狙ってのことだろうと二人は思っていたが、ここまでしつこいとなると流石に引くレベルだ。
続々と現れた火の部族を目の前に、歓迎にしては聊か張り切り過ぎではないだろうかとは苦笑する。
「主様、絶対に私の傍から離れないでください」
「う、うん…っ」
ハクの一振りは強烈で、稲妻が走ったように凄まじい一撃だった。何度見ても彼の本気の一撃を食らいたくないと、はゴクリと喉を鳴らす。人の身で食らってしまえばきっと受け止めた腕ごと持っていかれる。ハクの一撃で吹き飛ばされた兵たちは立ち上がることも出来ず地に伏したまま。
そこで漸く前に出てきたカン・テジュンは自身の目的を話し始めた。彼がハク将軍という単語を口にすると、ハクは直ぐにそれを否定し、さすらいの旅人となった今、何をしようが風の部族にはなんら関係のないことだとテジュンに言った。
「そういう事か……、でもまあ風の部族はどうでもよい。お前を殺して……そこにいるヨナ姫と副将軍に用があるのでな!」
「……は?」「え?」
何故、カン・テジュンがに用事があるのか、ハクは頭の上にハテナを浮かべる。ヨナが皇女という点ではカン・テジュンにとって意味があることでも、はどう関係あるのか知らないのだ。
「なあ、」
「な、なに?」
「お前、何でアイツに狙われてんの?」
「し、知らない」
も彼に狙われる理由が分からない。
「…と言っても、私が副将軍に用がある訳ではない。スウォン様が貴女を欲しがっている」
その言葉に、の体に緊張が走り心臓がドッドッと音を立てる。ムンドクに言われたことを忘れたつもりはなかった。スウォンが白狼一族のことを調べ、そして一族の血を継ぐを狙っていると。
スウォンがどんな理由でを手に入れようとしているのか、が白狼一族であることを知らないヨナは、ただ純粋にスウォンへの捨てきれない想いで圧し潰されそうになる。スウォンがのことを恋愛対象として見ていたのではないか、と。がそんなヨナを一瞥した時、影の罹った表情が何を考えているか分かってしまい、この現状で自分が一体彼女に何を言ってあげられるのか言葉に詰まった。
「まあ、お前って俺より聞き分けもいいし完全に従者向きだもんな。そりゃスウォンが欲しがるわけだ」
「何言って……、」
すぐにそれはハクなりのフォローだと気付く。今も捨てきれない想いを抱えているヨナが、余計な事で頭を悩ませない為の一言だった。助かったとハクに小さく頷くと、気にすんなと口パクで言われる。
号令と共に火の部族たちが攻撃を始め、それを上手く躱し交戦する三人だったが、やはり多勢に無勢であることは明らかだった。ハクやがどれだけ凄い武人であったとしても体力に限界がある。一人で複数人を相手し続け、休む間も与えられず次々と攻撃される。
その最中、四方からくる矢がヨナに降り注ぎ、それを庇ったハクが負傷した。直ぐに兵を薙ぎ払いハクに駆け寄ったは、痛いだろうが我慢しろと言い背中に刺さった矢を抜き、ハクと共にヨナを連れて茂みへと隠れさせた。
「主様、絶対にそこから動かないで下さいね。私とハクで道を切り開きます」
「い、行かないで…!!」
ヨナに掴まれた腕を見て、はそっと彼女の手にもう一方の手を重ねて微笑んだ。
二人を見ていたハクだったが、先に戦ってると言い戦場へ向かった。
「大丈夫です。ハクは私が守ってみせますから。主様のことも私が必ず守ります」
「必ず…っ、私のもとへ生還して…ッ」
「はい、必ず」
そう言って彼女の掴んでいた腕をそっと剥がすと、は先に戦っているハクの下へ向かった。
互いに背中を預けながら戦う中で、ハクの異変に気付くと匂いでそれが毒だと分かった。背中に受けた矢に毒が塗られていたのだろう。今すぐ解毒するべきなのだが、それすらさせてもらえない状況にはどうにかして逃げ道を確保しようと考える。やはり人の身では限界が過ぎるのだ。
少し離れた場所にいるハクの背後を狙う弓兵を見付け、そこに向かって走り出す。その刹那、その場にいた兵たちやカン・テジュン、そしてハクは目にすることになる。
弓兵に向かって走っていたの体が光の粒子に包まれ、彼らが瞬きをした時には、彼女の姿は無く、一匹の白狼が崖を駆け上がる姿。
それはまるで鬼神の如く戦場を駆ける獣神。
殺すことはせず再起不能になる程度で噛み付きや体当たりをすると、ウウウゥと唸り他の兵たちを威嚇した。
「な、んと……スウォン様が副将軍を欲しがっていたのは、こういう事だったのか」
幻でも見ているのかと、目の前で狼へ変貌したを見て興奮したようにテンジュンは呟いた。
「カン・テジュン様!あの狼は一体…っ」
「お前たち、あの狼に矢を放て。簡単には死なないだろう、捕まえてスウォン様の前へお連れするのだ」
「はっ!!」
茂みからテジュンを見付けてしまったヨナは、彼らが今から何をしようとしているか聞いてしまう。そもそも、狼なんて居ただろうか。茂みからは何も確認出来ないヨナはその狼がテジュンにとって敵であり、自分たちの味方をしてくれている事だけは彼の口振りから分かった。ハクやを守る為にはどうするべきか、このまま彼らの言いつけ通り待っている方がいいのだろうか。そしてヨナは思うのだ、何のために風牙の都を出たのか。
"神官様が、これからの道をきっと示して下さる――――"
―――神に問う前に、自分に問うことがあるはずよ。
ヨナは一心不乱に茂みから飛び出すと弓兵に体当たりをして崖から落とした。そしてテジュンの前に立ちはだかるヨナを見て、彼はヨナを迎えに来たという。緋龍城での出来事を全てヨナの帰還により明白にし、スウォンを緋龍城から退けようとしていると語った。火の部族が風の部族に圧力を掛けたのは父であるカン・スジン将軍の指示だという。真実を知っていたのなら、圧力を掛ける前にすべきことがあったのではいかと、ヨナは凛とした姿でテジュンに叱咤した。
その言葉は、やハクの耳にも届いていた。
もう緋龍城での、か弱く可愛らしい少女ではない。同じ意志を持って共に闘う仲間の姿だった。
「私は何も知らない姫だが、道理も分からぬ者の言葉に耳を貸す程―――落ちぶれてはいない!」
その燃えるような瞳、紅い髪がそこに居た全ての者の目に焼き付けられた。