「え?川が干上がってる?」
洗濯をするはずだった女たちに言われて、今の時期はまだ川が干上がったりと問題のある季節ではない。もしこれが、緋龍城の件が絡んでいるとしたら……。そう考えているところで、ヘンデが様子を見に行くと言い彼に任せることにした。ヘンデを見送った後、ムンドクが緋龍城から戻ってきた。直ぐにムンドクの下へ向かった達は、彼の温かな抱擁に迎えられて挨拶を交わす。
「、良くぞ生きて二人を此処まで連れてきてくれたな。ありがとう」
「ううん、私が連れて来たんじゃないよ。二人が頑張ってくれたから、私も一緒にここまで来れたの」
「……そうか。よう頑張ったな」
ムンドクに頭を撫でられて気持ち良さそうにする彼女はまるで犬の様で、もっと撫でてとムンドクに頭を摺り寄せていく。それを見ていたハクは、何やってんだよ、とをムンドクから引き剥がすと彼女もハッとしたように我に返ると、気持ち良さで我を忘れていたことに顔を真っ赤にさせた。
「お前があんな犬みてぇに頭撫でられるのが好きだったとはなぁ」
「あれは、別に……その、気にしないで下さい」
本人にとってはとても恥ずかしかったことなのだろう。ハクにまで敬語になり、それを見てハクもつい加虐心からを今後どうやって揶揄ってやろうか考えるのだった。
ヘンデが戻って来ると、彼は全身に怪我を負ってボロボロだった。一体何があったのか聞けば、上流で火の部族たちが川を塞き止め、新たなイジメかと思ったヘンデが武装した火の部族に喧嘩を売ったところ返り討ちにあってしまったという。話しを聞いていた周囲の者もこれから戦争でも始める気か、と騒ぎ立てるがムンドクがヘンデの治療が先だとざわついていた者をその場から立ち去らせた。
「ジジイ……」「じじ様、これは……」
ムンドクはスウォンが次期国王になる為に各部族長たちを招集していたと二人に話し始めた。それぞれが承認する中ムンドクだけは承認しなかったという。そして火の部族はムンドクに承認させるため、風の部族に警告として川を塞き止めたのだろうと説明した。
「姫様、大丈夫じゃ承認はせん。スウォン様を王に認めてしまったら、ハクに国王殺害の疑いがある事も認めてしまう事になる」
「ハクが国王殺害……!?」
「……だろうな。俺に罪を着せるのが手っ取り早い」
「あと、。お前にも話しておかねばならんことがある」
「私、ですか?」
ムンドクに連れられて、彼の部屋へ案内されるとそこに座りなさいと言われ素直に従った。
「時間も無い、早急に伝える。白狼一族であるお前のことが、スウォン様や、その従者である参謀のケイシュクという男に知られておった」
「……そう、ですか」
緋龍城でスウォンに狼の話しをされて、彼が何かに勘づいていることは分かっていた。
はぐっと奥歯に力を入れるとムンドクの言葉に耳を傾ける。
「スウォン様のことじゃ、ケイシュクという男以外に白狼一族のことは公にせんはず。一族のことについて何か調べているようじゃったな」
「分かりました。以後気を付けます」
「もう、気を付けることはせんでよい。お前は自由に生きろ、ハクや姫様と共に」
「それは一体、」
どのような意味で仰っているのだろうかとは言葉を続けようとしたが、ムンドクが彼女の言葉を遮るように名前を呼んだ。
「よ…恐れることは無い。もしもハクが身動き出来んとき、姫様をお守り出来るのはだけなんじゃ。姫様もハクも、よぅお前さんに懐いとる。それは心を許しとる証拠でもある。二人を信じて、決して見捨てないでやってほしい」
「そんなの、当たり前じゃないですか……っ、じじ様」
今生の別れでも無かろうとムンドクは言うが、何年かかってでも、緋龍城は奪還しなければならない。
その為には今以上に力を付けて、仲間を集い、スウォンたちの前に立ちはだかる事になる。
ムンドクに抱き締められ胸の中で考えるのは、これから待ち受ける辛い現実と幸せな未来だった。
◇
風の部族にお世話になっている間、上流を塞き止めていた火の部族が商団たちを襲い更に風の部族が追い詰められていた。テヨンの薬も手に入れられないままでは困るので、民たちが苦しむ前にとハクでムンドクを説得する必要があった。
その夜、スウォンの新王即位の承認をしてもらうようハクは風の部族長、ソン・ハクとしてムンドクに掛け合った。この都で幼い頃からお世話になり、ムンドクには孫同然のように可愛がってもらっただったが、それでも自分は白狼一族であることには変わりはないと、彼らの話し合いが終わるのを待つ事にした。
結果だけ聞ければその後の事も考えられる――――、二人が話し合いをしている間は、周辺の見回りをしてくると告げて都を出た。
風牙の都から離れた場所まで歩いていたは、周囲に誰も居ないことを確認してから狼の姿に変化すると、周囲に不審者は居ないか耳と鼻を研ぎ澄まして確認した。今日は外で寝てしまうのも悪くないだろうと、は塒(ねぐら)を見付けるとゆっくり足を曲げて地面に伏せると目蓋を閉じる。
ふと思い出されるのは、ハクに背中から抱き締められた時のことだった。何故、今そんなことを思い出してしまったのか、彼女自身も気持ちが分からなかった。
ぎゅっと胸の奥が苦しくなる。自分は白狼一族で獣神、彼は人間なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。人間の好きという気持ちには沢山の意味があった、それも全てヨナやその周囲の人達を見てきて理解することができた。
これはきっと一時的なものだ。
そう思う事にして、余計なことは考えないようにすると、そっとヨナの顔を思い浮かべて眠りについた。
早朝、目が覚めたハナコは都に戻り門の見張り役に挨拶をしてると、ハクが今から出掛けるのだろうか荷物を持って歩いて来た。声を掛けようとしたが、彼を纏う雰囲気が普段と違う事に気付き半分開いていた口をそっと閉じる。ハクはの目の前で立ち止まると、ニッと歯を見せて笑い「姫さんのこと頼むわ」と言った。その一言で、全てを悟った彼女は横を通り過ぎようとするハクの腕を掴んで引き留める。
「私も置いていくつもりか……?」
「あぁ、悪いな。俺はもう風の部族長でも何でもねぇ」
「何言って、」
「じっちゃんにソンの名を返した。これで俺も晴れて自由の身だ」
まだ昨日の話し合いの結果を聞かされてないんだが、そう言ってがハクに詰め寄ると、お前の事だから今ので察したんじゃねーのかよと彼は目を逸らして人差し指で頬を掻いた。
「私はハクの口から聞きたい。で、どうなったの?」
「……じっちゃんにはスウォンの国王即位を承認してもらう事になった。俺は風の部族長ソン・ハクとして、姫さんを風の部族の人間として生きていけるように頼んである」
「主様が此処に残れば私も必然的に残る、と。そんなところか?」
やっぱり分かってんじゃねーかよ、とハクが苦笑する。
しかし、にはハクを引き留める理由がもう一つあった。こんな風に二人で言葉を交わし、それすらも知らずヨナはハクに置いていかれる。そんなこと、ヨナが決して許すはずがない。彼女が何も言わず去ろうとうするハクに、納得するはずがない。勿論も早朝にハクと出会わなければ、何も知らずに彼が里を去っていたかもしれないと、それが無性に腹立たしく思えた。
「ハクー!!」
凛とした、聞き馴染んだ声にはハクを見て、ほら来たぞと不敵に微笑んだ。
「私、ここを出るわ!一緒に来なさい!」
あとはヨナに任せようと、は門番をしていたヘンデとテウと一緒に二人を眺めることにした。
彼女の意志と彼の意志がぶつかり合う中、門前で騒ぐ二人を見ていたムンドクもの隣に来ると、何じゃあれは、と苦笑する。
そして最後にヨナの言い放った「私にハクをちょうだい!」という一言が決定打となり、ハクが折れる事となった。彼にしてみれば、ヨナの言葉はただの我儘のように聞こえるかもしれない。でも、ただの我儘ではないことも気付いている。今まで籠の鳥のように育てられてきた彼女が、自分の足で立ち外の世界へ羽ばたこうとしていた。
話し合いは終わったかな、とはヨナに歩み寄ると微笑んだ。
「主様、良かったですね。またハクと一緒ですよ」
「何言ってるの?当然も一緒よ。絶対に私から離れることを許さないわ」
彼女は細く可愛らしい人差し指をビシッと向け「貴女の事もよ!私にちょうだい!」と、そう言ったのだ。ヨナの勢いに圧されてキョトンとしていただったが、ふっと微笑むと「有難きお言葉です」とヨナの前で跪き手の甲に口付けると、改めて忠誠を誓った。