満月が綺麗だと空を眺めていた。

 幼い頃は、満月の夜に地下室で眠ることが多く、こんなに月が綺麗なものだと知らなかった。薬を処方されるようになってからは、こうして満月の夜は決まって空を眺める事の多いは、警戒態勢を切らさないように空を仰ぐ。

 瞬間、耳に届いた音色が全身に緊張を巡らせた。

「主様……ッ!!」

 至急、音の鳴った場所へ向かえば今にもヨナに切り掛かろうとせんと兵たちが彼女を囲うように立っていた。何故こんなことになっているのか考える前に、ヨナを助けることが先だった。直ぐにヨナを囲う兵たちの数人に矢を撃つと、ヨナを隠すようにして構えてその先を見据えた。

「……スウォン様、どうして貴方が!?」

 背後にいた兵がヨナ目掛けて剣を振り下ろそうとした所をが庇うように覆い被さると、大きな突風が巻き起こり一瞬にして兵が吹き飛ばされた。

「オイ、これは一体どういう状況だ!」
「ハク…!」

 ハクの登場にヨナは彼の後ろに隠れ、兵たちに囲まれながらも同様に視線の先にいるスウォンを見据えた。とハクの問い掛けに、彼が放った言葉は「イル陛下を地獄に送って差し上げました」という一言だった。国王の弑逆に対し、怒りを露わにする二人は、更に告げられた言葉に絶句する。ヨナが王の死を目の前で見たというのだ。何とか正常を保っていたハクとだったが一気に瞳の奥に炎が灯る。

 スウォン以外にも、今回の謀反を企てたであろ空の部族で族長ケイシュクや、彼に寝返った者や緋龍城まで連れて来ていた兵たちが集まってきた。

 ハクが大刀を何度も振り下ろしスウォンに斬りかかる中、は周りにいる兵たちをヨナに近付けまいと弓を構えて威嚇する。しかしヨナが居る以上無茶な行動がとれないため、多勢に無勢となってしまった。ハクと刃を交えていたスウォンは、スッと彼の一太刀を躱すとハクの後方にるを見て微笑んだ。

「そうだ、。貴女はどうしても私の所に来て貰わなければいけません」
「何を言って…ッ」
「もう調べは付いているんですよ。貴女が何者であるか」
「……だったら、尚更行けませんね。私は主君であるヨナ姫様に絶対服従する者ですから」
「多少の怪我は仕方ありません。無理矢理でも貴女を手に入れます」
「なっ…!?」

 途端、一人の兵士がの背後から鼻と口を覆うようにして布を当てる。一気に意識が朦朧とし始めたは、瞬時にそれが睡眠薬であることを知り何とか意識を保とうとしているが、少しでも気を抜くと完全に落ちてしまう。は渾身の力を振り絞って、辛うじて握っていた矢先を思い切り自身の腕に突き刺した。

「うぐっ…!!」
「お前、何を!?ぐあっ!!」

 抜け切れていない睡眠薬に体は若干の倦怠感を覚えてしまったが、兵に蹴りで一撃お見舞いしてやると、同時にどこからか飛んできた矢が地面に突き刺さり、それが周囲にいる兵士たちの足を止めをするには充分な役割となった。
 好機と捉えたハクとはヨナを連れて逃げ出すと、人気の少ないところまで走り茂みへと身を潜めた。

「おい、大丈夫か。ったく無茶しやがって……!」

 服の裾を矢先で引きちぎると、傷口にその布を巻きつけきゅっと結び応急処置を施した。

「何とか、これぐらい掠り傷ってところね。ところでさっきの矢は―――」
「将軍!ハク将軍…っ!様もご無事でしたか!」

 三人の姿を見付けて駆け寄ってきたのは側仕えのミンスだった。彼は先程の会話を聞いていたらしく、もう一度陛下の死を確かめるようにヨナに尋ね、そして彼女は静かに頷いた。ヨナの誕生日を誰よりも喜び、そしてヨナ自身もそんな父王にありがとうと一言も伝えることが出来なかった事を静かに嘆いていた。

「主様、必ず生きて下さい。それがイル陛下へのお返しになるはずです」

 の言葉を聞いて、ハクも同じように生きのびる事を考えてもらえるように言葉を紡いだ。



 ミンスの案内と囮役を買って出てくれたおかげで、何とか城外へ逃げ出すことが出来た三人は、山を登り少しでも城から離れた場所まで移動した。下町へ行こうものならお尋ね者として直ぐに捕まってしまうだろう。
 その日は、陽が昇る頃まで歩き続けた。歩き疲れた頃、ヨナの足がもう限界であったため一度休息を挟み、野宿で使う薪や食べれそうな山菜を取りに山へ向かった。

「なあ、
「なに?」
「前に鼻が良く利くって言ってたよな」
「え?あぁ、そんなこと言ってたっけ」
「言ってた。ちっせぇ頃に」

 そんな頃に交わした言葉を良く覚えているもんだと思いながら薪を拾い集めていると、昔ムンドクのじじいに聞いた話しなんだけどよ、とハクは話しを続けた。

「なんだったかな……昔、王に仕えた獣神がいて、それが白く綺麗な狼だったって」
「へえ、そうなの。その話と、私の鼻が利くって話しに何の関係が?」
「鼻が利くって言ったら、なんつーか犬っぽいだろ?それで思い出した」
「フフ、なにそれ。確かに他の人より鼻が利くってだけだよ」

 きっと、ムンドクの話しに出てきた白狼はの両親か、その先代の事だろうと彼女は思った。

 当時、彼女の両親と特別親しかった風の部族長であるムンドクは、白狼一族のことを唯一知る人物でもある。しかし、養子で孫のハクに私たち家族のことは伝えてないと言っていた。
 いつかヨナや、その周りの者たちにも知られてしまう日が来るかもしれない。でも、決して恐れることはないとムンドクはに言った。しかし、獣神であれど感情が無いわけではない。忌み嫌われる存在となってしまう事に怖れ、人間と距離を置いてしまうのは、生きる目的や意味が違うからこその理だった。

「雪だんごして風邪引いた時のこと、覚えてるか?っつっても、お前はその時居なかったけどさ。前に話したやつだよ」
「うん、覚えてる。主様から聞いたよ」
「スウォンが真夜中に目が覚めてふと外を覗いたら綺麗な白い狼がいて、それがずっと忘れられないって話してたんだ。それ聞いた時、じじいの言ってたことは嘘じゃなかったんだなって思ったんだ」
「……スウォンは夢でも、見てたんじゃないの?」
「俺も最初はそう思ったんだけど確かに見たっつーんだよ。ま、王に仕えてた獣神の話しも本当の所はどうだか分かんねぇけどなぁ」

 本当の事を言ったら、ハクは信じてくれるのだろうか。そう考えてしまうのは、私の我儘なのだろうか。彼らと同じように生き、死んでいきたいと思うのは、不幸なことなのだろうか。
 いま自分がここに存在し、彼らといたことを覚えていて欲しい、ただそれだけだった。

「もしも……、その獣神が私だったら、どうする?」

 聞いてはいけないことを、聞いてしまった気がした。

 でも、聞かずにはいられなかった。スウォンに裏切られた今、言葉でしか相手の心理を探る術が無いのだから。人間という生き物は本当に難しい。動物のように行動で全てを悟ることが出来たら一番いいのに。が信じるべきはヨナであり、ヨナが信じる者は、の信じるべき者でもある。だからこそ、ハクに裏切られては困るのだ。

 キョトンとした表情で少し考えたハクは、ニッと口元に笑みを浮かべて言った。

「ま、いいんじゃね?仲間であることに変わりはねぇんだろ?」

 考えた割に、あっさりとした答えだったので思わずも拍子抜けをしてしまう。重く考えてしまったことが馬鹿だったかのように、ハクという男はこうなんだと改めて実感する。昔から難しく考えることを嫌い、自分の思いや考えだけを信じそれを貫く。自分よりも遥かに狼らしいじゃないか、と思わずもフッと笑みを零した。

「なに笑ってんだよ。結構真面目に答えたつもりなんだけど」
「ごめんごめん。……うん、そうだよね、ハクが獣神だったとしても、私もきっと気持ちは変わらない」
「だろ?そんなんで関係が壊れるようなら、それはもう仲間でも何でもねえ」
「さっきは変な質問しちゃってごめんね。気にしないでいいから」

 ハクの言葉に元気付けられたは思う、もしも自分の身に危険が及んでもハクになら彼女を任せられる、と。