「ハクって主様と縁談なんてあったんだ?」
「んなわけあるかッ!」

 すかさずツッコミを入れるハクを揶揄っていたのはだ。イル陛下とヨナに仕えているからこそ分かる事だが、ヨナに縁談話がきたという事は有り得ない話し。しかし、部屋に姿を現した陛下は三人の会話を聞いていたのか、ヨナの前で結婚話が嘘ではないかもしれないと語った。勿論、ヨナにとってスウォンが一番に望む相手である為、陛下の決める相手は嫌だという。陛下の気持ちも分かるが、年頃の少女が当たり前のように恋をして、その相手と結ばれることが一番の幸せだろう。
 だが、彼女の立場上そうはいかないのが王家に生まれた者の宿命だ。

 話を終えた後、ヨナは廊下で一人思い悩んでいた。はヨナの隣に立ち、ただ彼女に寄り添うようにしていたのだが、そろそろ見回りの時間であることをヨナに伝えるとその場を後にする。
 廊下を歩いているとスウォンと鉢合わせたので道を譲るように端に避けたのだが、彼はどうやらを探していたらしく彼女を見付けた途端、パァと明るい笑顔を向けた。

「すみません、少しお話がありまして」
「何かありましたか?」
「いえ。ただ、あまり人に聞かれたくない話しなので……」
「分かりました。スウォン様のお部屋へ参りましょうか」

 とスウォンが部屋に着き部屋へ足を踏み入れた途端、嗅ぎ慣れない香りには鼻先がツンとした。スウォンの家の者も来ているのだから、きっとそ奴らの匂いだろうと一人納得すると、話しとはなんですか、となるべく息を浅く吸ってその場をやり過ごすことにした。

「あぁ、そうですね。実はお聞きしたいことがありまして、」

 にっこりと微笑みスウォンは昔話を始めるように、子供の頃の話を始めた。雪だんごを投げ合い、ヨナ、スウォン、ハクの三人で風邪を引いてしまった時の話し、その日の夜に月の光を浴びて綺麗に光る白い狼を見たという。

「――――それはそれは、とても美しい狼でした」
「狼、ですか」
「ええ。目は綺麗な金色に光る宝石のようでした……それは、まるで貴女のように」
「…っ、」

 スウォンの話しは身に覚えのあるもので、当時のは幼くあまりにも迂闊だった。

 白狼一族の宿命とでもいうように、は決まって満月の日に体調を崩し狼へと強制的に変化する。まだ成長し切ってない体に、変化を抑える薬は強すぎるため、専属の医者―――ヨルは無理に薬を飲ませず、彼の家の地下室でが人の姿に戻れるまで時を待ち寝かせる事が常だった。
 その日、ヨナたちが風邪を引いたことを知ったは、いてもたっても居られず、地下室からこっそり抜け出し緋龍城へと忍び込んだ。少しだけ、と三人の様子を茂みに隠れて窺っていたのだが、気を抜いて茂みから出たところをスウォンに見付かってしまい、直ぐに動けずにいただったがスウォンに声を掛けられて漸くその場から逃げた。
 変化する瞬間を見られたわけではないので、彼にとってはただの狼にしか見えていなかっただろう、そう思うしかなかった。

「私は人間です。狼ではございませんよ?」

 いつもの笑顔でスウォンを見上げるに、確かに貴女は人間ですね、と苦笑した。

「すみません、変なことを言ってしまったようで。ただの戯言だと思ってくださって結構ですよ」
「はい、そうさせて頂きます。お話は以上ですか?」
「ええ。お仕事に戻られても大丈夫ですよ」
「わかりました。失礼します」

 踵を返して部屋を出て行く彼女の後ろ姿をじっと見詰めていたスウォンは、彼女に焦がれる視線を向けていた。確信はないのだが、もしかしたらあの時の狼はなのではないか、と。







 ヨナが齢十六となった今日、は早朝から城を出て下町の医者まで向かった。着いたのは昼前で、夕方までには帰れそうかなと考えたところで扉を叩くと「先生、ヨダカ先生」と声を掛けた。
 扉が開くと、姿を現したのは齢三十程の男だった。町医者でありながら、身形はしっかりと小綺麗にしているようで、どこから見ても清潔感のある成人男性だ。

「おー、薬を取りに来たか」
「はい。また宜しくお願いします」
「そこに座って待ってろ。茶でも飲むか?」
「あ、いえ。今日は急いで帰るので」
「いや、今日は帰らない方が良い」
「え?」

 すると、ヨダカは目配せだけするとに窓の外を覗くよう煽る。まさかと思い、が身を潜めて外を覗くと、数名ほど怪しい動きをする男たちが見えた。

「……いつの間に」
「ハハッ、お前も勘が鈍ったんじゃねーか?ま、今日は城に帰らない方がいいかもしれんな」
「いや、それは駄目だ。今日はどうしても帰らなきゃならない用事がある」
「命よりも大切な用事か」

 当たり前のことを抜かすなとは彼に微笑んでみせた。その表情に迷いはなく、どうせ大切な姫様のことなんだろうなとヨダカは苦笑した。

「王家の問題に首を突っ込むつもりはないが、お前は一族の生き残りなんだから、簡単に死なれちゃ困るんだよ」
「……それ言われると言い返せなくなる」
「それに、お前の事を頼まれてんの」
「私の両親に?」
「まあ、そうだけど、そうじゃなくてさ。イル陛下にだよ」

 陛下が?とキョトンとした表情を見せたに、嘘は言ってねーからな、とヨダカは苦笑した。まさか陛下がそんな風に心配されていたことを知らなかった彼女は、直ぐにでも帰って感謝の言葉をお伝えしたいと気持ちがはやる。

「で、身体の調子はどうだ。薬は馴染んでるか?」
「うん、馴染んでるよ。昔みたいに薬を飲まなかった頃に比べたら全然マシ」
「そりゃ良かった。あの頃は大変だったもんなぁ…、酷い時は高熱出すし、食欲も一気に減退して食べ物拒絶し始めるし」
「ハ、ハハ……大変お世話になりました?」
「俺はお前の母親かよって、何度も思わされたなぁ」

 確かに、とが苦笑すると彼も満更でもない顔で、まあ親代わりにはなれたってことだなと微笑んだ。

「よし、顔色も良いみたいだな。問題ないならもう帰っていいぞ」
「ありがとう、ヨダカ先生」
「あ、それと、これ」

 差し出されたヨダカの手の平に、綺麗な白く細長い筒状に金の装飾が施された首飾りの様なものが、光を浴びて煌びやかに輝いていた。

「なんですか?綺麗な装飾がされた……笛ですか?」
「あぁ、そうだ。これは白狼一族に伝わる笛でな、仕える主の身に危険が迫った時に、直ぐに駆け付けれるよう吹いてもらうものだ。音は白狼一族の者にしか聞こえない作りになっている」

 ヨダカが一度その笛を口に当て吹くと、の耳にしか聞こえない独特の音色が響いた。吹く者の感情でその音色も変化し、危険であるか、そうじゃない呼び出しか聞き分けることが出来るらしい。

「どうして……私に、これを?」
「お前の両親から、皇女様が齢十六になった時、渡すように預かってたんだよ」

 つまり、この笛をヨナに渡して危険を知らせて貰うようにしろ、ってことか。そう理解したは、帰り際に薬と笛を受け取ると、裏口から抜け出し緋龍城へ帰る事にした。来るときに追ってきた男たちは付いて来てない。陽も落ち夕陽が眩しい中、城門を潜ると門兵に笑顔で迎えられた。挨拶をして城内へ入ると、最初に出くわしたのはハクだった。やけに兵たちの警護が厚くなっている事に気付いたは、何かあったのか尋ねると「城内に違和感を感じる」とハクが教えてくれた。

「宴は無事に終えたのか?」
「嗚呼、それは大丈夫だった。あとは今日の夜にしっかり警護固めとかねーと」
「私も城の周辺警護固めとく」
「おー、頼んだぜ」

 急いで薬を部屋に置きに戻ったは、今夜は満月の日だから何事も無い方が一番いいのだが。そう願いながら、薬袋から二回分の薬を懐に潜ませてヨナの部屋へと向かう。部屋に灯りがあるので、ヨナは中に居るのだろうと扉を叩き声を掛けると、扉が少しだけ開きひょっこりとヨナの顔が現れた。

「あら、今日の宴に参加しなかったじゃない」
「す、すみません……外せない用事があったので。あ、そうだ、主様に贈り物…と言っていいのか分からないのですがこれを。お誕生日おめでとうございます、ヨナ姫様」
「ありがとう。とても綺麗な装飾ね……、これは首飾りかしら?」
「いえ、笛です」
「……笛?」

 何故、笛を贈られたのか良く分かっていないヨナに、自身もどう説明していいのか考え、タジタジになりながら何か身の危険を感じたり、呼び出すことがあれば吹いて下さいとだけ説明した。彼女もとりあえず納得してくれたのか「わ、わかったわ」と返事をし、試しに笛を吹く。
 その音色は勿論にしか聞こえず、吹いた後に「これ音が全く鳴らないじゃない!壊れてるんじゃないの!?」とヨナは慌てだす。私にしか聞こえない音なのですと言えば、不審そうにヨナはのことをジーっと見詰めていた。
 なんとか首から下げて貰えることになり一安心したは、肌身離さず身につけて下さいとお願いして、ヨナの部屋を後にするのだった。