酔っぱらった所為で自我を失ったのか、将又冗談なのか、尾形さんは酒の席でいきなり変なことを言って私に詰め寄ってきた。
「オイッ……らせろ、」
「ちょ、と…尾形さん距離が近いですって」
「ヤらせ、ろ」
呂律の回らなくなった彼からもう一度距離を取ると、ちょっと水取ってきますからと席を立つ。嫌なぐらい背中に尾形さんからの熱っぽい視線を感じた。会社の同僚の何人かで飲みに来たのはいいけど、テーブルの端で細々と飲んでいた私に、彼は突然絡んできた。完全に悪酔いしてんだろうなぁと、彼に面倒くささを感じて私はどう対処しようか水の入ったグラスを手に席に戻った。
「ほら、お水です。飲んでさっさと目を覚まして下さい」
彼の目の前にグラスを置いて、早く飲んで下さいと催促してみるが、尾形さんは一向にそれを飲もうとしない。無理矢理口をこじ開けて飲ましてやろうか。
「二次会行くよー!」
酔っぱらいの同僚たちは上機嫌に次の店に行こうと各々が席を立ち始める。や、やだ、ちょっと待ってよ。この男をどうするのよ!急いで仲の良い子に声を掛けようとしたら、スカートの裾を掴まれてしまい畳の上に尻餅を付いてしまう。ぞろぞろと店の外に出て行く同僚の背中を見送る形となってしまった。
完全個室だとはいえ、こんな所で尾形さんと二人きりは勘弁してくれ。
「尾形さん…っ、ちょっとスカート掴まないで下さいよ!」
「なあ、なんでさっきから俺の気持ち無視すんだよ」
「えっ…あの、えっと…はい?」
「俺はお前とヤりたいってのによ」
あぁ、そういう事ですか。すみません。私はちゃんと彼氏が居るので尾形さんなんて眼中にないです。
「なぁ、」
「や、やだ…っ。ここお店の中ですよ…!」
私に覆い被さろうと体重を掛けながら肩を押してくる。ずるずると壁際にお尻を引き摺って逃げたけど、壁に両手をついた尾形さんに挟まれて逃げ場を失ってしまった。
「あの!私、彼氏いるんですけど!?」
「だから、なんだよ」
「だ、だから…、これ以上近付いたら警察呼びますよ!?」
「呼べばいいだろ」
好きにしろと尾形さんはギラリとした眼光で私を沼底に沈めようとしてくる。
いつの日か、心のどこかで、尾形さんの彼女になれたらって思ってた。
でも、いつも彼の隣にいるのは綺麗な女性ばかりで、女の子たちを羨んでた。だからさっさと諦めて次の恋に走った私は、優しくて理想の男性と巡り会えた。誠実な人で私の事を一番に考えてくれる。
今の尾形さんみたいに、いきなり「ヤらせろ」なんて言ってこない。
「なあ、。本当は俺の事好きだったんだろ?」
背けていた顔を思わず彼に向ける。図星かと彼はニヤニヤと笑っていた。
悔しい、なんでこんな人を一度でも好きになっちゃったんだろ。
なんで、こんな人……、私は未練たらしく、想っちゃってんの。最低なのは尾形さんじゃない。適当な口実を繕って、逃げ出した私が、今も尾形さんを好きでいることだ。ほんと、惨めな自分に嫌気がさす。
何も言わない私に、尾形さんは立てよと私の腕を引いた。
「今夜は楽しもうぜ、なぁ?」
私の視界にはモザイクのかけられた知らない尾形さんの顔があった。
―――ただ、ゆらゆらと与えてくれた波に乗って、私は泳ぐだけ。
(水槽から逃げ出した金魚の逃避行)