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青春街道まっしぐら



 待ちに待ったネズミーランドの日がやってきた。
 私は身支度を整えると、既にソファーでコーヒーを飲みながら準備万端な尾形さんに声を掛けた。今日は一応動きやすい恰好でありながら、お洒落に!をコンセプトにしてみた。白の大き目Tシャツにデニムのスキニーパンツ。髪の毛はポニーテールにして毛先は巻いた。今回は普段から履かないスキニーパンツに挑戦したのだが、結構着心地良くて気に入っている。化粧もいつもより念入りにしたので、バッチリだ。

「お待たせしました」
「準備終わっ―――」

 私の見るや彼は言い終える前に言葉を失くしていた。もしかして変な恰好だったのかな、と少し不安になりながら彼を見詰めれば、何故か顔を逸らされてしまった。いや待って、そこまで拒絶する…?そう思い目元に薄っすら涙を浮かべそうになった所で、彼の耳が若干赤いことに気付いて、涙はすぐに引っ込んだ。もしかして照れてるのかな…。

「あの、似合ってませんか…?」

 恐る恐る聞いてみると、彼は頭髪を何度か撫で上げる仕草を見せた後に小さな声だが「似合ってる…」と褒めてくれた。そんな彼の反応を見れて満足した私は、彼の腕を引いてソファーから腰を上げさせると鞄を手に取り玄関に向かった。
 靴よりサンダルが良いだろうと水色の夏らしい色を選ぶとそれを履いた。

「百之助、今日は楽しみましょうね!」
「まあ、程々にな」
「はい!」

 返事も元気よく、私たちは地下駐車場に向かうと車に乗り込み、ネズミーランドに向けて出発したのだった。



 到着した私たちを出迎えてくれたのは、入場口でお客さんに手を振っている人気キャラクターのエゾシカ君だ。駆け寄り声を掛ければ、エゾシカ君は握手とハグをしてくれた。可愛いし、ふわふわで気持ちが良いなぁ、ともう少し抱き着いていたい名残惜しさを感じながら園内に入場する。
 早速目に付いたアトラクションを指差した私が、あれに行きましょう!と走り出そうとした所で、腕をぐいっと引っ張られてしまった。反射的に体が後退したが倒れるほどではない。
 振り向かずとも分かる犯人は尾形さんで「な、なんですか…!?」と驚く私に、お前の場合は迷子になるから見切り発車で行くなと彼は言った。
 そして私の腕を掴んでいた手が離れると、そのまま私の手の平を掴むと指先が絡んだ。

「これなら迷子にならんだろ」
「……は、はい」

 所謂、恋人繋ぎをされて顔を赤くする私に、尾形さんはフと笑った。

 最初に乗ったアトラクションは、ブランコみたいなやつに座って360度ぐるぐる空中で回るやつだ。一人掛けと二人掛けがあり、私は二人掛けを選ぶと彼は隣に座った。上空を回り始めてからは、体全体に受ける風が気持ち良く、隣に座っていた彼も気持ち良さそうにしていたので私は一安心した。
 色んなアトラクションを制覇していく中で、グゥと鳴った腹の虫を聞いた尾形さんは苦笑すると時間を確認して、そろそろ飯時だなと言った。レストランに入りメニューを広げて私は感動する。可愛らしい料理から、謎過ぎて理解出来ないモノまであり、私はいくつか注文すると、目の前に座る少しお疲れ気味の尾形さんを見て、自分ばかりが燥いでいたことに反省しつつ苦笑した。

「次はゆったり出来そうなものを選びますね」
「……まあ、そうしてくれると助かる」
「最初から飛ばし過ぎてすみません」
「気にするな」

 反省する私に、彼は手を伸ばして私の頭をクシャッと撫でた。乱れた前髪を手で直すと、彼は私が楽しんでるならそれでいいと言ってくれた。
 私たちのテーブルに届けられた料理は、手の込んだ作り様で、思わずスマホのカメラで写真を何枚か撮った後、尾形さんにカメラを向けてシャッターを押すと、キョトンとした顔の彼が収められる。そういえば尾形さんの写真を撮ったことが無かったなぁと考えている所に、今度は尾形さんが私にスマホを向けてカシャッと音を鳴らした。

「あっ!私のこと撮りました!?」
「さっきのお返しだ」
「えぇ…撮ってくれるなら先に言って下さいよぉ。絶対に変な顔してる……」
「いや、可愛く写ってるぜ。ほら」

 そう言って彼は私にスマホの液晶を此方に向ける。その画面を覗いてみると、自分のスマホを見てボケーっとした姿が収められていた。なんと情けない顔をしているんだ…。削除してやろうと指でフリックすれば、ひょいっとスマホを奪われ削除は失敗に終わる。

「全然可愛くないじゃないですか…!」
「そうか?俺は自然体なお前も好きだが」
「……ちょっと照れるんでそういう事言うのやめてもらっていいですか」
「俺はどんなも好きだぜ」
「だ、だから……!」
「俺はが好きだ」
「……っ」

 絶対にわざとだ!わざと言ってる!
 顔を真っ赤にした私を見て、彼はニヤニヤしながら満足そうに笑う。好きだと言ってくれるのは嬉しいんだけど、意地悪するみたいに言わないで下さいよ…。
 何度か咳払いをして気を紛らわすと、目の前の料理を食べましょうと合掌した。食べたものは全てが美味しくて、普段の手抜き料理もいいけど、私も手の込んだ料理で彼の胃を満足させてあげたいと思った。近い内に書店に寄って良いレシピが載ってる料理本を買ってみるか。口いっぱいに入れた料理を咀嚼しながら、私は今後の料理スキルについて考えたのだった。

 後半からは私がアトラクションに乗り、彼がそれを眺めるスタイルになっていた。まあ、尾形さんも普段の仕事でお疲れだし、今日はネズミーランドに付き合ってくれただけでも私は大満足している。
 一通り乗り潰した後は、二人でベンチに肩を並べて飲み物を手に世間話をしていた。一番最初に話したのは茨城の祖母のこと。それから次のおうちデートは、私が膝枕をしてあげる約束になってしまった。ちゃんとお疲れの彼を癒してあげられるのか、自信は無いけど頑張ろうと思った。
 夕陽が園内を橙色に染める中、そろそろホテルに戻ろうと言う彼の言葉に私は頷いた。

「口コミで見たんですけど、ホテルから見える園内のイルミネーションがとっても綺麗らしいですよ」
「そうか。それは楽しみだな」

 園内のホテルに移動した私たちは、豪勢な部屋に案内された後はベッドに倒れ込むと疲れましたねぇと苦笑した。隣のベッドで同じように寝転ぶ尾形さんを見て、彼は天井を見上げたまま「このまま目を閉じたら落ちそうだ」と呟くので、まだディナーが残ってますよ!と私は上半身を起こした。
 ベッドから降りると、大きな窓から見える地平線に沈む夕陽が姿を消すと、薄暗くなった園内に照明が灯り綺麗な夜景が広がる。そっと綺麗と呟いた私の左側に影が掛かり、いつの間にか移動してきた尾形さんが隣に立っていた。

「確かに綺麗だな」
「……百之助と一緒にこの景色を見れて良かったです。最高の思い出になりました」
「それは良かった。男冥利に尽きるってやつだな」

 彼の腕が私の肩を抱くと、優しく胸元に引き寄せられた。早くなる鼓動と、熱くなる体。どうしようもなく彼が恋しいと思う気持ち。彼に対する愛はこんなにも大きい。私は貴方を好きになってよかった。沢山の幸せを与えて貰えた。

「私の我儘を聞いてもらえませんか?」

 緊張して上擦った声になる私に、彼もその空気にあてられて体がピクリと反応した。

「ずっとずっと…この先も、私と一緒に―――――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 焦ったように私の言葉を遮る彼に、えっ、と顔を上げる。何度か髭を触った後、その手を口元に持っていき咳払いをした彼は、抱き寄せていた私の体を一度離すと向き合うような形で私を見下ろした。
 そっと握られた手は、そのまま彼の手に包み込まれる。

「あの……?」
「まずは俺の話しを聞いて貰ってもいいか?」
「へっ?」

 彼の話しとは一体……。良く分からず頷いた私は、彼をジッと見上げた。

「いつか言おうと思ってたんだが…、中々言えなかった」
「何がですか…?」

 考えるような仕草を何度かした後、彼はゆっくりと口を開いた。

「来月に入ったら、俺は二年間転勤になる」
「………はい?」

 いや、それ今言う事なの……?しかも二年の転勤って……どこに?

「転勤って……何処へ?」
「……んー、ロシア」
「へぇ、ロシアですか。……えぇぇ!?」

 ロシアって何!?県外どころか国外!?
 先程までの甘々な空気は何処へやら、彼の衝撃的発言に全てを持っていかれてしまった。とにかく落ち着いて彼の言葉の意味を理解しよう。ロシアって明らかに日本から遠い。というかロシアに行って尾形さんって生活出来るの?寒すぎて死ぬんじゃない?彼の場合は、語学が堪能だと言っても英語で話すところしか聞いたことが無い。これってもしかして……

「えっと……ロシア語は?」
「俺の守備範囲は英語とロシア語だ」
「す、すごい…です、ね」

 そりゃロシアで転勤も頷けますわ。

 結局、今から彼とイチャイチャする気分にもなれず、私は静かにベッドに座り込むと腹の虫を鳴らした。

 ディナーは美味しい料理のはずなのに、味は普通に感じた。これも全部尾形さんのせいだ…。華沢さんが以前、尾形さんは空気読めないって言ってたけど。今発揮しなくてもいいのに。ただ引っ掛かったのは、彼が何故あの状況で私の言葉を遮ってまで伝えたのか。
 シャワーも浴びてバスローブに身を包んだ私は、ベッドに寝転がっている間も尾形さんのシャワーを浴びる音をBGMにずっと考え込んでいた。考えても考えても、その意図が分からず、うううぅと枕に顔を埋めて唸り声をあげる。

 浴室の扉が音を鳴らしたので、彼が出てきたんだと分かった。そのまま顔を埋め続けていると、ふと背後に気配を感じてゆっくり体を反転させると、間近に迫る彼の顔があり思わず変な声を上げてしまう。

「あ、あの……っ!?」
「もう寝たのかと思った」
「ま、まだ寝てないですよ…」
「なあ、

 彼が私の名前を呼ぶと、そっと耳元に唇を寄せて「抱かせてくれ」と囁いた。ぞわぞわとした感覚が体中に走ると、体は一気に熱くなる。一応、そのつもりで待っていたのだから、私は彼の返事にゆっくり頷くしかない。それを合図に、彼は私に優しく口付けると、それが次第に深くなっていく。

 やっぱり体は正直なんだなぁと、彼の手が私のバスローブを手に掛けた辺りから、深い口付けに私の脳は完全にふわふわとして、ぼんやりとする視界で彼の眼光に魅入っていた。

「俺が日本に戻った時に、改めて話を聞いて欲しい」
「……ん、分かりました」

 彼は、私に何を伝えようとしているのだろう。
 考える間もなく、彼の噛み付くような口付けに、私も夢中になった。