43もうひとつの物語次の日はいつも通り仕事なわけで、事務処理に追われていた私は出来た書類を必要な部署に届けたり、先輩方のデスクに付箋付きで置いてを繰り返していた。優子ちゃんも同じように私の隣の席で頑張ってたけど、なんだか顔色が優れない。どうしたんだろうと一応体調を伺ってみるも別状はないらしい。 朝のコンビニで買った栄養ドリンクを渡すと「ちゃんみたいな社畜じゃないんだから」と苦笑された。 そういえば今日は宇佐美さんが出勤してない。それを優子ちゃんに訪ねてみると、有給消化で休みと教えてくれた。ただ不思議だったのは私が宇佐美さんの名前を口にした時、彼女はビクッと反応していたのだ。もしかして、恋愛事で悩んでるんだろうか。恋愛マスターの優子ちゃんが、ここまで調子悪そうにするのは明らかにおかしい。尾形さんの時だって、こんなに落ち込んだ雰囲気は見せなかったのに…。 「ねえ、優子ちゃん。宇佐美さんと何か…あったの?」 「……まあ、うん」 めっちゃへ込んでる……! これは私が聞いていいのか分からないけど、本当に心配になってきたので仕事終わりに飲みに行く約束を取り付けた。彼女はあまり乗り気ではなかったけど、そうも言ってられない。こんな私のことも尾形さんの時は応援してくれて、味方だからねって言ってくれたのに、私が彼女の為に何もしないんじゃ駄目だろう。 優子ちゃんの仕事も私が何個か終わらせて、定時になった瞬間に彼女の腕を引っ張って会社から飛び出した。尾形さんにはメールで飲みに行くことを連絡して、いつもの居酒屋に足を運ぶ。 カウンター席を選んで、適当に料理と生ビールを注文した。隣に座る彼女は大きな溜息を漏らし、やっぱり只事じゃないことは理解出来た。 「私で良かったら話し聞くよ?宇佐美さんと何があったの?」 「……振られたの」 「………えぇっ!?いつの間に告白したの!?」 「告白はしてない。でも宇佐美さんには恋人が居たの」 「エッ!?恋人いたの!?」 続々と登場する新事実に私は開いた口が塞がらなかった。彼女が言うには、休日に買い物をしていたら宇佐美さんを見掛けたので、声を掛けようとしたら隣に知らない女性が居たらしい。ただ関係はまだ恋人だと決まった訳じゃないと思い、いつも通り彼に近付いて挨拶をした所、宇佐美さんの口からその女性が恋人であることを説明されたらしい。 あまりのショックに無言で彼の頬をビンタしてしまったらしい。そこについては反省しているのか謝りたいと言っていた。でも今更、顔を合わせるのも怖いのでこのまま嫌われてもいいかと思っているらしい。……いやいや、それはあかんでしょ。 会社でも宇佐美さんと優子ちゃんは良い感じだったし、引っ付くのも時間の問題かと思っていた時の私を平手打ちしたい。それにしても宇佐美さんに恋人が居たことが驚きというか……今まで隠していた理由を聞けば「聞かれなかったから」と彼なら答えそう。 私と優子ちゃんは二人してズーンと暗くなりながら居酒屋で宇佐美さんなんて、と彼の愚痴を言う彼女の話をずっと聞いていた。内容の最後には必ず「結局カッコイイのよね」とか「優しいのよね」とか口にしている。愚痴の中にも結局彼への好きという気持ちが隠しきれてないのだから、彼女にとっては相当ショックが大きかったのだろう。 「どうせなら、好きって言って玉砕しちゃおうかしら…」 「優子ちゃんの気持ちが晴れるなら、いいんじゃないかな」 「そうよね。うん、そうだわ……くよくよしたって私じゃないもの!」 「ヨッ!流石恋愛マスター!!」 「フフ、持ち上げるの上手なんだから」 思い詰めていた事を言い終えた彼女は幾分かスッキリとした顔をしていた。本調子に戻ってきた彼女に、私はどんな時でも彼女の味方でいようと微笑むと生ビールをグイっと飲み干した。 ―――――――――――――――― 入社してきた彼女を見て、最初に一目惚れをしたのは俺の方だった。 でも、野々村が選んだのは尾形で、俺は丸で眼中になしといったところだ。 まあ、傷口は浅い方がいいと彼女を諦めようとした時に、ちゃんが現れて尾形の心を掻っ攫っていたのだ。こんなに面白い事があるのかと、俺は他人の恋愛事情を知る度に笑っていたが、そんな中でも俺は野々村を諦めきれない感情が心の底にあった。 漸く彼女の気持ちが俺に傾いてきたかなぁと思った時、自分から告白するのも何だか野々村に負けた気がするので、絶対にアイツから好きって言わせてやろうと思った。その為のもう一押しが欲しかった俺は、幼馴染みと出掛けている時に偶然声を掛けてきた野々村を見て、これだ!と幼馴染みを彼女だと偽って紹介したのだ。 作戦通り彼女は目を丸くして驚いていたが、その表情も次第に暗くなっていく。 少しやり過ぎたかと思った時には、野々村に右頬を叩かれていた。乾いた音が俺の鼓膜を震わすと、案外容赦なく叩かれた所為で口の中を切ってしまい鉄の味が広がる。 「…ッテェな」 走り去った彼女を追い掛けることもせず、ただその背中を視線だけ追うと思わずフッと笑いが零れる。小さい頃からあった誰かに対する加虐心というものは中々消えないものだ。 心配そうに俺の事を見上げる幼馴染みに、本当に付き合う?と笑い掛ければ冗談はよしてくれと呆れられた。俺が誰を好きなのか知っていた彼女は、あの子が野々村さんだよね?と分かったように問い掛ける。「うん、可愛いでしょ」と笑うと、宇佐美が好きそうなタイプじゃんと言ってくれた。 次の日は、まさかの熱を出して寝込んでしまった。 仕事も有給で休むことにして、大人しくベッドで寝転がりながら携帯をいじってると、尾形から連絡が入る。掠れ声で話す俺に「馬鹿でも風邪を引くんだな」と病人にも嫌味を言うコイツは本当に根が腐ってると思う。まあ、俺も尾形に同じようなことを入社当初に言ってやったことがあったからお互い様か。 「……今日、野々村どうしてた?」 『仕事してたぞ』 いや、そういうことじゃなくてさ……尾形ってこういう所で空気読めない気がする。 「お前に聞いた俺が馬鹿だった」 『お前の望み通りの答えが聞けなくて残念だったな』 「っるさい…。眠いから切るよ」 『が心配してた。結構へ込んでるから飲みに連れて行くって言ってたぞ』 「……最初からそう言いなよ」 『ゆっくり休めよ』 絶対に心にもないこと言ってるよコイツ。 まあ、俺の聞きたかったことは聞けたから許してやるけど、野々村がへ込んでいた事を知れたので、まだ希望はありそうだな。明日は頑張って出勤するか。俺はゆっくり目を瞑った。 熱も下がったのでいつも通り出勤してみれば、野々村の席に彼女はいなかった。不思議に思った俺はちゃんに所在を聞いてみると休みだと答えた。 「――――で、野々村は風邪で寝込んでる、と」 「はい。なので宇佐美さんがお見舞いに行ってあげてください」 出たよ、ちゃんの天然なやつ。まあ二人きりで話せるのなら良い機会だし、野々村の気持ちを聞いてみるか。俺から好きって言ってやんないけど。 彼女の言う通りに仕事終わりに野々村に連絡を入れてみるも、一向に通話に出る気配がない。ちゃんに渡されたメモの住所まで来てみると、高給取りじゃないと入れないようなマンションだった。アイツこんなところに住んでんのかよと乾いた笑いが漏れる。 玄関ホールに設置してあるインターホンで彼女の部屋番号を鳴らすと、「はい」と初老ぐらいだろう女性の声が聞こえた。もしかして母親か?と俺は彼女の職場の同僚であることを説明して入れてもらうと、直ぐにエレベーターに乗り最上階まで向かった。 ……つーかエレベーターなげーよ。 部屋の扉を目の前に、何故か緊張感が漂い始めて、どうしたんだよ俺…と変な笑いが出る。扉の前でボーっと立ったままだと不審者になり兼ねないので、インターホンを鳴らした。 扉が開いて中から姿を現したのは、野々村とは似ても似つかない顔のお婆さんだ。 「……どうも、宇佐美です」 「いらっしゃいませ、宇佐美様。優子様なら奥の部屋でお待ちになってますよ」 そう言って部屋の中へ入れてくれたお婆さんに、一応どなたか尋ねてみると「お世話係ですよフフフ」と笑っていた。本当に金持ちのお嬢様だったのかよアイツ。 通されたのは野々村の寝室らしく、暖色系の落ち着いた雰囲気の部屋だった。お婆さんは何かあればお呼び下さいと一言して部屋を出て行く。二人きりになってしまった空間で、野々村を見れば彼女の視線はずっと手に持っている本に注がれていた。 「風邪、引いたんだってな」 「……私は馬鹿じゃないんで風邪ぐらい引きます」 ……遠回しに俺の事を馬鹿って言ってんのか。 読んでいた本をパタリと閉じて、何か用がありましたか?と視線を俺に向ける。彼女の瞳は本当に風邪の所為で少し熱を帯びていて、正直俺の体はゾクッとした。見た目は申し分のないぐらい美人だが、まあ性格は良い意味で個性があるというやつだ。 ベッド横に用意された椅子に腰かけた俺は、何読んでたのと手元の本に触れようとしたが、それを彼女に拒まれる。ひょいっと本を反対側に置かれ、手を伸ばさなければ取れそうもないので、直ぐに諦めた。 「なあ、野々村」 「なんですか?」 「ここ、結構痛かった」 「………そうですか」 謝ってこないのかよ。右頬を擦りながらチョイチョイと指で差す俺に、一瞬バツの悪そうな表情になるも返ってきたのは塩対応だ。 意地っ張りな性格は相変わらずなのか、いつも通りのようにも見えた彼女だが、やっぱり表情は浮かない。ここはあの時の事をちゃんと説明した方が良いのだろうか。でも、ネタ晴らしをしたら、結局俺が告白する羽目になっていまう気がする。 「俺さぁ……今はずーっと一緒に居たいなあって思う奴がいるんだよね」 「…っ、勝手にしたらいいじゃないですか。その報告は必要ないです」 「んー、報告する必要あると思った」 きっと野々村は俺が幼馴染みとそういう関係になりたいと言っているように聞こえてるのだろう。段々と彼女の目元に涙が浮かんでいくのを見て、嗚呼やっぱり好きな女を泣かせるなんて男として最低だよなぁと笑った。 「なに、笑って…ッ」 「やっぱり野々村は可愛いなって思って」 「……意味が分からないですっ」 「この前の子、俺の幼馴染み」 「その幼馴染みと仲良くしたらいいじゃない…ッ!ずーっと一緒に居たらいいじゃないですかっ」 ああ、もう可愛いなぁ。俺の為に悲しんでくれるのも嬉しいけど、野々村には笑った顔が一番だ。いつもの強気な態度も、友達の為に自分は嫌われてもいいって覚悟も、全部全部お前だから俺は好きになったんだよ。 両手の指の甲で目元を擦る彼女の腕を掴んで引き剥がすと、俺は少しだけ顔を近付け彼女の顔を覗き込んだ。 「俺が好きなのは野々村だよ。ずっと一緒に居たい」 「………ヘッ?」 怒っていた顔が、俺の一言でキョトンとした表情に変わる。 これもある意味、俺の勝ちって感じがしていいな。 「幼馴染みは恋人じゃないし、良き友人ってやつだよ。俺が好きなのは野々村だけ」 「……私のこと騙したのねッ!?」 「いやぁ、野々村の泣き顔も可愛かった」 「人の事を馬鹿にして…っ!!」 今度は怒り出した彼女が掴まれていた腕を振り解こうとするので、俺はその手にグッと力を入れて彼女の動きを止めると、そのまま視線を絡めるように見詰めた。 「ねぇ…野々村の気持ち、聞きたいんだけど」 「あの、えっと………」 頬を赤く染めて顔を横に反らす彼女は、ただの女の子だ。コイツってこんなに可愛かったっけ……いや、可愛いんだけどさ。 「ほら、教えてよ。俺は言ったんだから」 「……き、です…」 「え?何?聞こえない」 耳を寄せて彼女にまた顔を近付ければ、何故か俺の腕はグイっと引っ張られてしまった。思わず前のめりに体勢を崩す俺の顔に影か掛かると、フワッと彼女の良い香りを鼻腔が掠め取ると同時に唇に温かいものが触れた。 閉じられた彼女の瞳を覆う長い睫毛はとても艶やかで、自分が彼女にキスされていることに気付いた時には、その唇は離れた。フッといつもの強気な表情を見せる彼女は、俺の顔を覗き込むと「私も好きですけど文句あります?」と笑った。 してやられたのは俺の方だったことに、彼女同様に俺もフッと笑うしかなかった。 |