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ゆっくりと歩く



 カーテンから差し込む光に目を覚ますと、私は隣で眠る彼を見て、夢じゃなかったんだと嬉しさで唇を噛み締める。がっちりと彼の腕にホールドされた私の体は、見事に動けない。このまま寝ててもいいんだけど、普段通り今日は仕事なわけで起きなければならない。
 でも、彼の寝顔を見るのは初めてなので、少しだけ観察していようとじっと見詰めた。

 睫毛長いなぁ…。
 鼻も高いし……やっぱり尾形さんはカッコイイ。
 髭は切り揃えてて、きっちりしてる。

 顎の辺りに怪我の痕がある。

 ……うん。全てが好きだ。

「そんなに俺の顔が好きか?」
「っ!?起きてたんですか…!」
「ああ、涎垂らして寝てたお前より先に起きてたぞ」
「なっ……起こして下さいよぉ…」
「お前だって俺の事起こさなかっただろ」
「…………」

 彼の正論に言い返す言葉も見つからない。

 昨日はあの後、私が先に寝ちゃったんだっけか……。
 尾形さんが意外と激しくて意識がぶっ飛びそうになってたんだけど、終わってから私が速攻で眠った気がする。服は下着すら付けてないから、そういうことなんだと思う。

「あの、仕事もあるんでそろそろ起きませんか…?」
「…もうそんな時間か」
「朝食作るんで、その手を離してくれるとありがたいのですが…」
「離したくないって言ったら?」
「えっ!?」
「冗談だ。朝食出来たら教えてくれ、もう少し寝てたい」
「…もう。じゃあ出来たら起こしますんで、絶対に起きて下さいね!」

 はいはいと手を振って私をベッドから追い出した尾形さんは、直ぐに寝息を立てて寝てしまった。床に転がっていた下着と服を着て、私は先に洗面所に向かった。ああ、どうしよう。薄化粧だったから化粧崩れは無いけど、一度シャワー浴びたいなあ。
 洗面所から尾形さんの名前を呼ぶが、やっぱり寝ているので返事はない。

「まあ、いいか」

 一度自分の部屋に戻ってシャワーを浴びようと玄関で靴を穿いていると、寝室から顔を覗かせた尾形さんが見えた。あれ、寝てたんじゃなかったの。

「どこ行くんだよ」
「え?自分の部屋に戻ってシャワー浴びてこようかと」
「俺んちのシャワー使っていいから、浴びてけ」
「えっ、いやそれは流石に申し訳ないですよ…!」
「いいから使え」
「……うっす」

 もの凄い威圧感を感じた。これは尾形さんちのシャワー浴びないと後が怖いぞと、穿いていた靴を脱いで、洗面所に向かう。せめて着替えだけでも持ってきたら良かったと思いながら、服を脱いで浴室に入った。
 シャンプーとコンディショナーを確認すると、その隣に置かれた髭剃りとかクリームを見て、ああ尾形さんちのシャワーだな、と彼のテリトリーに自分が居ることを実感した。


 シャワーも終えて、髪の毛を乾かした後に朝食づくりを始めた。前回はパンとか無かったしなぁと冷蔵庫を覗くと、まさかの食パンが置いてあった。やだどうしよう…尾形さんがちゃんと自炊してる……!感動のあまりホロリと涙が浮かぶ。
 卵と牛乳もあったので、フレンチトーストなるものを作ることにした。丁度出来上がった頃に尾形さんも起きてきて、改めておはようございますと挨拶をすると、彼もおはようと言って目を擦っていた。くっそ可愛いなこの野郎…。

「フレンチトースト作ってみました!朝はコーヒーでいいですよね?」
「あぁ」
「冷蔵庫に食パンあったので驚きましたよ。尾形さんってばちゃっかり自炊してたんですね」

 私が嬉しそうに言うと、尾形さんは口元に薄く笑みを浮かべる。

「お前がまた部屋に食パン取りに戻る手間が無くなると思ってな」
「………あの、恥ずかしいですよそういうの」
「朝から顔が赤くなってるぞ」
「絶対にわざとでしょ!?尾形さんなんて嫌いだ…」
「へえ、嫌いなのか。結構傷付いたなぁ」
「えっ、いや、違います…っ!」
「冗談だよ」
「………やっぱり嫌い」
「俺は好きなんだが」
「…………もうやだ。尾形さんなんて嫌い。でも大好きです」
「どっちだよ」

 朝から尾形さんの言葉で私は一喜一憂する。
 顔を両手で抑えて真っ赤になる顔を隠していると、ふと顔に影が掛かった。指の隙間から見ると、そこには尾形さんの姿があって、完全に私を見下ろしている。ち、ちかい…!

「なあ、こっち見ろよ」
「む、むり…!」
「なんでだ?」
「恥ずかしいからです…!直視出来ない!」
「……ほら、これ」

 もう一度、指の隙間から覗くと、目の前に銀色のきらりと光るものが彼の指からぶら下がっていた。まさしくそれは鍵で、私がキョトンとした顔で両手を下すと「引っ越すマンションの鍵」と言った。そしてもう一つ、違う鍵を見せて「これはこのアパートの部屋の鍵」と私の手に握らせた。

「……これ、は」
「俺の部屋はお前が好きに使っていいから、マンションに移るまで一緒に暮らそう」
「じゃ、じゃあ…百之助の部屋で料理、作っていいんですか?」
「俺はお前の飯しか食わんぞ」
「……はいっ、いっぱい作りますね!」

 手の平にあった鍵をぎゅっと胸元で握り締めると、少し照れ臭そうに髪を掻き上げた彼を見て微笑んだ。



――――――――――――――――



 出勤した私は、さっそく昨日の事で優子ちゃんと宇佐美さんに質問攻めにあった。

 一旦二人を落ち着かせると、結婚前提で付き合う事になったと報告した。勿論、二人は祝福してくれたし、今度マンションに遊びに行きたいというので、それは尾形さんに許可を取ってもらうように言った。
 たまたま近くで私たちの話しを聞いていた先輩達も、おめでとうと言ってくれて、気付いたら営業部全体が祝福モードになる。あんまり騒がしくしちゃうと尾形さんが不機嫌になりそう……。彼を一瞥すると、不機嫌以前に超真顔で言い触らしてんじゃねーよって視線を私に向けていた。その黒目の真顔が超怖い…!

 それから引っ越しまでの一週間と数日を尾形さんの部屋で過ごす事になった。定時なれば一緒に車で帰ったし、晩御飯の買い出しも、お風呂も、寝るときも…。これ以上ないって程の幸せな日常を満喫した。

 引っ越しの前日、次の日が土曜日の休日だったので一緒に茨城に行くことになった。
尾形さんも結構律儀な所があるのか、私の祖母にちゃんと報告しておきたいらしい。私は年末以来だけど、尾形さんは夏以来じゃないかな。
 事前に行くことは話していたので、祖母がちゃんと家の外で出迎えてくれた。

「婆ちゃん!元気してた?」
、よう来たなぁ。尾形さんもいらっしゃい」
「ご無沙汰してます」

 はよ家の中に入りなさいと祖母が嬉しそうにしていたので、私たちは顔を見合わせて笑った。
 手土産の饅頭を渡したあとは、お茶を飲みながら世間話に花を咲かせる。昨日何を植えたとか、ほとんど畑の話しだったけど、それでも祖母が楽しそうに話してくれるので私も嬉しかった。そして、尾形さんは本題に入りたいのか「婆ちゃん」と真剣な目をして祖母を見た。

「今日は話があって来ました」
「なんだい?そんな改まって……」

 私も彼の言葉にそっと耳を傾けながら、祖母を見詰めた。

「俺に、さんを任せてくれませんか」
「……それはどういう意味だい?」
「結婚前提にお付き合いをさせて下さい」
「…婆ちゃん、私からもお願いします」

 祖母の視線は厳しいものになり、私たちを交互に見ると「真剣なんだね?」と聞く。私も彼も顔を見合わせると、祖母に視線を移してゆっくり頷いて見せた。

「私は、が選んだ人が尾形さんで良かったと思うとるよ。尾形さん、孫娘のことをどうぞ宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」

 二人の会話を聞きながら、涙が溢れて止まらなくなった目元を何度も拭い、婆ちゃんありがとうと笑った。

 彼と出会えてよかった。
 彼を好きになってよかった。
 彼を愛してよかった。

 明日から引っ越し作業も始まるので、日帰りとなってしまった私たちは帰りの道中に、何度か目が合ってつい照れたように視線を落とす。尾形さんに関しては、表情に出にくいのか、良く分かんなかったけど視線がいつも以上に泳いでいたのでそういうことだろう。

 車窓から見える街の夜景を眺めて、ふと微笑んだ。