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ふたりのきもち



 頼んだカクテルを飲みながら、私と優子ちゃんはまだ来ない男性陣を待ち女子トークをしていた。

 まだこの大人な雰囲気のバーに馴染み切れない私は、落ち着かない気持ちで身を捩るとそれを見ていた優子ちゃんがクスッと笑った。ホントに初めてだったのねえと笑う彼女に、私が来るような人間に見えるか聞けば、見えないとハッキリ言われた。
 すると、入店を知らせるベルのカランカランという音に、私たちは後ろを振り返る。

「悪い、遅くなった」
「ごめんごめん!」
「尾形さん、宇佐美さんお疲れ様です」
「遅い〜二人とも」

 漸く合流した二人は、私たちを挟むように私の左隣に尾形さん、優子ちゃんの右隣に宇佐美さんが座った。

「尾形さんって車ですよね?ノンアルコールにしますか?」
「車はアパートに置いてタクシーで来た」
「そそ。だから俺も一緒に連行されてたってわけ」

 遅かった理由はそのためだったのかと私が納得していると、優子ちゃんは早速本題を持ち出した。

「尾形さんってちゃんと一緒に暮らすらしいですね」
「えぇっ!?そうだったの!?俺初耳なんだけど!」

 優子ちゃんは早く詳細を知りたいと口元を二ヤ付かせていたけど、宇佐美さんに関してはまずこの新事実に驚き過ぎて持っていた携帯をカウンターにカタッと落としていた。
 事件の事には触れずに、一応そうなりましたと返事だけする私は、絶対に顔が真っ赤だ。

「私が知りたいのは、二人はどんな関係なのかって事ですよ。ね、宇佐美さん」
「確かに一緒に暮らすってことは、そういう関係になったってことだろ?」

 知らないことだらけの宇佐美さんは、結論そうなんだろうと私と尾形さんを交互に見て普段通りの表情に戻っていた。

「……そういえば、キスだけして付き合おうとか言ってなかったな」

 尾形さんの一言に、宇佐美さんが二度目の衝撃を受けていると、優子ちゃんは呆れたように溜息を吐いて頬杖をつく。そして私は顔が更に真っ赤になっていた。

「やっぱり尾形さんって肝心な所で抜けてますよね。キスまでしといて、付き合おうの一言も無いなんて、ちゃんが不安になるだけだと思いますよぉ?」
「あ、えっと……あの、そのことについては後ほど二人で、」
「しかも分譲マンションでもかなりの一等地でしたよねぇ」
「うっわ、マジか……。尾形それってもう付き合うとかそんな問題じゃない気がするんだけど……」

 私の言葉はさらりと流され、二人は話を進めていく。尾形さんもただ聞いてるだけで、特に反論する様子も見せなかった。少し不安げに彼を一瞥すると、一応何か考えている様子で、髪の毛を撫で上げるとフと薄く笑った。

「俺にとってはこれぐらい普通だと思ってたんだが、お前らの話を聞いて少し違うってことは分かった」
「尾形の普通って何!?超こえーんだけど!」
「尾形さん……あの、実は普通じゃないんですよ、はい。順序とか色々……」

 頼んだカクテルが目の前に並べられたので、私たち四人はそれを受け取り、遅い乾杯をした。
 しかし話題はこのまま続行らしく、尾形さんの考えている事が分からない私にとって良い機会だと思い、二人の尾形さんに対する質問攻めをただ聞いていようとカクテルをちびちび飲んでいた。

「なんで分譲マンションにしたのか分かんないけど、尾形ってちゃんとどうなりたいの?」
「………それは、ここで答えないといけないのか?」
「私も聞きたーい。尾形さんの気持ち聞きたいなー」

 二人とも凄い……。質問内容が私の考えている事と一緒過ぎて、思わず飲んでいた手も止まると尾形さんを見る。すると、尾形さんも私の事を見ていて、視線が合った瞬間思わず反らしてしまう。うう、すみません……直視できない…!

「おい、何で目ェ逸らした」
「だ、だって…!すっごい見てたっ!」
「やだやだ、お熱いわねぇ」
「見てる俺まで恥ずかしくなってきたじゃん」
「ちょっと二人ともやめてぇ…!」

 尾形さんに見られた上に、二人には揶揄われる始末。
 耐えられなくなってカウンターに顔を伏せて埋めていると、なあ、と尾形さんが私を呼ぶ。でも恥ずかしさで顔も上げられなくて、伏せたまま何ですかと返事をすると、そっと耳元で「あとで話がある」と言われた。キョトンとなる私は、そのまま顔を少し出して尾形さんを見ると、彼は指先で髭を掻きながら斜め上を眺めていた。

「なに?ちゃんになんて言ったの?」
「黙れ宇佐美。お前には関係ない」
「じゃあ宇佐美さん、私たちは帰りましょ」
「え!?もう帰るの?」
「ほら、早く立って。あ、これ会計の時に出してね」

 そう言って優子ちゃんはカウンターにお金を置くと、宇佐美さんを連れて店を出て行った。一体何だったんだろうとぽかんとしている私に、尾形さんは「変な気を遣われたな」と呆れたように言った。気を遣うって、何が……?

「俺たちも出るか」
「あ、はい。じゃあタクシー呼びますね」

 会計を済ませている尾形さんに変わって、私は電話でタクシーを呼んだ。店の外に出ると、既に待っていたタクシーに二人で乗り込むと、アパートまで帰る。
 車内で、尾形さんの指先が私の手に触れて、一瞬にして体が硬直するとそのまま私の手に被せるように置かれた彼の手が、指先で遊ぶように優しく撫でた。

「あ、あの……」
「…なんだ」

 思わず自分から話しかけたのに、彼に返す言葉が見つからない。
 恥ずかしくて、どうしたらいいのか分からないまま、結局何でもないですと小さく答えて、アパートに着くまで私の指は彼に遊ばれた後、きゅっと握られた。


 タクシーから降り、尾形さんはアパートを見上げると「あと少しで此処を出て行くんだな…」と懐かしむように言った。私は彼の横顔を見てそうですねと呟く。初めて私たちが出会ったここは、色褪せない思い出となって記憶の中に残った。尾形さんはどうなんだろうと、彼の気持ちを聞きたい一方、そうでもないと言われる事が怖くて聞けないまま。

「お前が不安になってた事、気付いてやれなくて悪かった」
「えっ!?いえ、そんな……一人で勝手にそう思ってただけっていうか…尾形さんは悪くないですよ」
「その、尾形さんってやつ、名前で呼べるか?」
「……はい?」

 ちょっと待って、いきなりハードル高くなったぞ……。
 尾形さんの下の名前ってなんだっけ。えーっと…そうそう、百之助だ。尾形さんって呼び慣れちゃって下の名前忘れるところだった。

「少しは、それらしいことした方がいいと思ってな。嫌か?」
「い、いえ…!ただ、名前で呼ぶのって少し照れると言うか…」

「っひゃい!?」

 突然、自分の名前を呼ばれて変な声を上げてしまった。

 尾形さんの視線は私を見詰めたまま、ただ何かを待つように黙っている。

 これは、つまり……そういうこと、だよね……。

「ひゃ……ひゃく、百之助…さん」
「さん付けしなくていい。二人の時ぐらいは呼び捨てにしてくれ」
「……じゃ、じゃあ、百之助」
「ん、いいなそれ」

 何が良いんですか私超恥ずかしいですからね…ッ!

 彼の薄く笑う顔は、月明りも相まって綺麗だった。
 自然と私も笑顔になって彼と一緒に笑う。

「なあ、
「はい?」

 尾形さんは真剣な顔をして私を見る。
 吸い込まれそうな黒々としたその瞳を見つめ返すと、彼の言葉を待った。

「……人を好きになる気持ちが分からないまま、今まで生きてきた。お前と出会って俺の中でいろんな感情が入り乱れて、今頃になって気付いた。俺はお前が好きだ」
「……私も、ですっ」

 漸く気持ちが繋がった気がした。
 彼は以前ほどの警戒心の強い視線は無く、優しく目元に笑みを作って私を見下ろす。

「結婚前提に付き合ってくれ」
「結婚…前提、ですか……?」
「ああ。俺は以外考えられないと思ってる」
「へっ!?あ、えっと……その、ちょっと待って下さい!」

 色々と混乱してきた私は、結婚前提とか、私以外考えられないとか、なんだその女子が言われたい台詞のオンパレードは、とツッコミどころ満載の状況に顔が真っ赤になる。
 返事を待つ彼に、ただイエスと言えばいいだけなのに、それが言えずに口をパクパクさせた。

「いきなり過ぎたか…」
「あっ、いえ!その……えっと…私でいいんですか?」
「俺はお前がいいって言ってんだろ」
「す、すみません!そうでしたね……あの、私で宜しければ……お願いします」

 言葉尻に消えていったそれを聞き取ったのか、尾形さんが私の頬をそっと触れた。自然と二人の視線は一つに交わり、触れるだけのキスをする。心地の良い風が頬を撫で、私たちの幸せを祝福しているように感じた。
 抱き締められた体は、すっぽりと尾形さんの胸の中に納まると、彼は私の首元に顔を埋めた。項に当たる彼の髪の毛がくすぐったくて、身を捩ると私の耳元で「今日、俺の部屋に泊まれよ」と囁かれた。

 それは、つまり……その、そういう事ですか!?

 全身が茹蛸になっていく私は、小さく頷いて返事をする。

 尾形さんに手を引かれて、アパートの階段を上るとそのまま尾形さんの部屋に入った。玄関を閉めた瞬間、腕を掴まれ振り向かされると、彼に噛み付くような深い口付けをされる。

 それから、私は尾形さんに抱きかかえられてベッドに転がされると、私の全てを彼に委ねた。


 これが夢なのか、現実なのか分からないほど幸せで、涙が止まらなくて、彼が私を求めてくれることが嬉しかった。


 貴方のすべてが、愛しい。