37あなたじゃなきゃ駄目なんです「おい!大丈夫か!?」 尾形さんの必死な声に応えるように、私は急いで間合いを取るために後ろに下がる。持っていたドレスは袋と中の箱ごと貫通してしまい、その下で添えるようにしていた私の右腕に刃の先端が刺さった。 「大丈夫ですっ、でもドレスが…!!」 「そんな心配してる場合じゃないだろ!」 犯人は私たちから逃げるように立ち去る。全身黒の服装と目差し帽を被って顔が見えないように工夫されていたので、顔まで確認することは出来なかったが、微かな犯人の残り香に私は眉間に皺を寄せる。 私が突っ立っていると、尾形さんに怪我をした右腕を掴まれた。 「ッ!!ちょ、ちょっと尾形さんっ痛い痛い!」 「直ぐに手当てするぞ。あと警察だ」 その言葉に、それは駄目ですと止めてしまう。 自分が何をされたのか分からないのかと怒られてしまうが、それでも私はそれはしないで欲しいと頑なに拒否した。そんな攻防を繰り広げている内に、私の傷口から血がダラダラと流れて尾形さんの手を汚す。 私の怪我を手当てする為に一度部屋に戻ることになり、救急箱の場所を教えると、彼は一度傷口を水で流した後に消毒液を沁み込ませた脱脂綿で優しく拭いてくれた。痛いのを我慢しながら目を瞑っていると、彼は私の名前を呼ぶ。怒りにも似たその声色に、彼の感情が激昂していることは安易に分かった。 「……なんで俺を庇ったんだ」 「すみません…咄嗟に足が動いて、」 「お前にもしもの事があったらどうする」 「でも、尾形さんだって刺されてたかもしれないじゃないですかっ」 手当てしていた手を止めた彼は、その視線を私に向けると寄せていた眉間の皺を更に深くする。先程の怒りとは違う、苦しそうな表情に私は固唾を飲んだ。 「……俺の隣には、これから先もお前だけでいい」 呟くように言われた言葉は、この静かな部屋に十分なぐらい私の耳に届いた。 目を見開いて、彼を見ると同時に目頭が熱くなる。尾形さんは苦しそうな顔で、でもその視線は熱を帯びていた。 止め処ない感情が沸き上がり、視界が涙で歪んでいく。 彼は武骨なその手を伸ばすと、私の目元をそっと親指で撫でて涙を拭ってくれた。 「わた、し……尾形さんの隣に、いてもいいんですか…っ」 「お前じゃなきゃ駄目なんだ」 「私も尾形さんが――――」 言葉を紡ぎ終える前に、私の唇に温かいものが触れた。彼の唇が私の口を塞ぎ、そっと触れるだけのキスをする。離れていく唇に寂しさを感じながら、そっと視線を上げると尾形さんは口元に優しい笑みを浮かべて「一緒に暮らそう。……返事は?」と言った。 そんなの、答えは決まっている。 「貴方と一緒がいい。私はずっと……尾形さんが好きでした」 私たちは、また触れるだけのキスをした。 ―――――――――――――――――― が刺された時、尾形の怒りは最大まで到達していた。 それでもピンピンしていた彼女に、凄い強運の持ち主だと思う一方、咄嗟の判断とはいえ自分が彼女に守られる結果となってしまった事に情けなさを感じる。 もし犯人を見付けたら彼女の居ない所で、半殺しぐらいにはしておこうと心に決めて、右腕に包帯を巻いた彼女に明日は病院に行こうと告げる。しかし、彼女は首を横に振って自分ひとりで行ってくると言った。 「俺も付いて行く。お前ひとりじゃ、また何かあった時守ってやれないだろ」 「でも披露会の参加が……」 「お前が気にすることじゃない。俺が鶴見部長に話しておくから、お前はもう寝たほうが良い」 「……分かりました」 歯切れの悪い返事をするだったが、今回ばかりは尾形の言葉に従うと首を縦に振った。 玄関まで送ってもらった尾形は、また明日電話するからと言って自身の部屋に戻った。 部屋に戻ってからソファーにドサッと座ると、ハァと大きな溜息が漏れた。 既に犯人にアパートの場所を知られているので、このまま此処に居続ける理由は無い。 「明日の病院帰りに不動産屋に寄るか……」 早いところマンション決めて引っ越してしまった方がいいだろう。一緒に暮らす約束も取り付けたので、退去日ギリギリまで居る必要はない。自然と襲ってきた睡魔に身を委ねるように尾形はゆっくりと瞼を閉じた。 翌日、尾形とは病院に行った。 病院で医師に、何でこんな怪我を負ったのか説明するだったが、その曖昧な説明に医師の反応は微妙なもので、怪訝そうな視線を尾形に向けた。彼はその視線から察するに、自分が彼女に暴力を振るったのではないかと疑われている事に気付く。 そんなわけないだろうと、尾形も呆れたような表情になるが、ここで下手なことを言えば更に疑われそうだと口を噤んだ。 一応、医師からは適切な処置が出来ていると言ってもらえたが、先程の視線といい尾形は腑に落ちない顔をする。そんな彼の様子に気付かないではなかったので、診察室から出た後にすみませんと苦笑していた。 「あの、今日は本当に有難うございました。今からでも披露会に間に合うなら、」 「今日はもう休みを取った。だから行かなくてもいいとこには行かん」 「……そうですか。じゃあ帰ります?」 いつまで経っても人の心配ばかりする彼女にハッキリ言う尾形は、呆れ半分で帰るぞとの手を取った。 車に乗ってアパートに戻る途中、尾形は道を逸れて別の目的地へと向かった。彼女も気付いてアパートはあっちですよね?と不思議そうな顔になるが、彼は合ってる短く返事をして走り続けた。 この前、一緒に来た不動産屋に車を停めると、何か用事でもあったのだろうかと車の中でが黙っていると、尾形は彼女を見て「今月中にアパート出るぞ」と言った。さすがに黙っていた彼女も驚いた表情で尾形を見たが、ただ口をパクパクとしているだけで、脳内処理が追い付いていない様子だった。 「まだ犯人も特定出来てない今、俺たちに出来る事はアパートを出ることだって思ったんだ。も一緒に暮らす事を承諾したからな」 「確かに、そうですけど……」 少し考え込む彼女に、何か迷うことでもあるのかと尾形はじっと次の言葉を待つ。 しかし、彼女はただ困ったように笑うだけで「そうですね」と言った。 善は急げと、二人は車から降りると直ぐに不動産屋に空きのあるマンションを教えてもらった。住み易さも必要だが、尾形が心配したのはセキュリティーがしっかりされた物件かどうか、そこが一番の問題だった。 「この中で一番セキュリティーが固いのはどれだ?」 「こちらの物件になりますね」 「……尾形さん、これ分譲マンションですよ。賃貸の方が」 「この物件で頼む」 人の話を聞いてるのか、尾形は完全にの意見を無視して手続きを始め出した。なんでこの人もこんなに強引なんだと思う一方、結局流されるように彼女も手続きをする羽目になっていた。 ただ、まだどんなマンションで中がどうなっているのか、提示された資料や写真でしか分からない。実際に見て検討することも必要な旨を店主に言われたので、来週の土日で約束を取り付け、一度アパートに戻ることになった。 ――――――――――――――― アパートに戻ってからコーヒーを飲んでいた私は、尾形さんに鍵の掛け忘れには気を付けろよと三回ぐらい車内で言われた事を思い出し、おかしくてつい笑いが漏れた。 前々から過保護気味な彼だったが、今回の事件があってからそれに拍車が掛かったように思える。彼の言うことは間違っていないので、素直に分かりましたと返事をしたのだが、私だけが狙われている訳じゃない。尾形さんもちゃんと鍵掛けて家の中にいるのかな、なんて余計な心配をした。 ソファーに仰向けで寝転ぶと、ふと包帯の巻かれた右腕を撫でた。 犯人の目星は付いていた。 でも決定的な証拠もないので、あなたが犯人ですねとも言えない。 刺されて、犯人を間近にした時に分かった香水の匂い。 私の知る限りでは、あの人しかいなかった。 あと、私が咄嗟に飛び出たにしろ、あの殺意は尾形さんに向けられたものだった。だから彼が心配するべきは自分自身なのに、私が刺されたから彼もまた私を心配してしまっている。 彼と両想いになれたのは嬉しかったし、一緒に住もうって言われた時なんて怪我のことなんて忘れて舞い上がってしまった。でも、これって付き合ってる…とかじゃ、ないんだよね……?一緒に居たいって約束はしたけど、好きだって言われた訳じゃない。 ……けど、キスはした。 キス、したんだ……。な、なんか急に恥ずかしくなってきた。 「ど、どうしよう…」 思い出した瞬間、すっごく恥ずかしくて尾形さんの顔がまともに見れない。明日は仕事だっていうのに、彼にどんな顔をしたら……。 熱くなる顔を両手で押さえて、うわぁぁと小さな声を漏らした。 やっぱり私、すっごく尾形さんが好きだ。 |