32もうひとつの想い尾形さーんと店内で別行動していた私は彼を見付けると、手を上げて少し離れた所から声を掛けた。「これなんかどうですか?部屋にあったソファーと似てますよ」 「あぁ、いいんじゃないか」 「革張りだけど、すっごく柔らかくて私好みです」 「じゃあ店員に声掛けてくる」 日曜日の午前、私と尾形さんは新しい家具を探しに街に出ていた。丁度3軒目の家具屋でソファーを見ていた私は、自分好みの商品を見付けると尾形さんに声を掛ける。でも私の説明を聞き終えた彼は、じゃあそれにすると即決してしまった。決断力があり得ないぐらい早いんじゃない。完全に私の思うままに買い物させてる感じだ。 「尾形さんっ、そんな簡単に決めちゃっていいんですか?」 店員と話し終えた彼に声を掛けると、お前好みなんだろ?と聞かれてしまった。いやまあ、そうなんですけど……。戻ってきた店員が購入時の事を聞いてきたので「カード支払いで頼む。来月に届けてほしい」と彼は簡潔に答えていた。それを隣で聞いている私に店員が「奥様もこれで宜しいですか?」と笑顔で言う。 「あ、いえ…私は彼の妻じゃなくて―――」 「妻が欲しいものを選んだから問題ない」 「畏まりました。ではお支払いの準備をしますのでレジまでお願い致します」 尾形さん!?私は貴方の奥方じゃないですけど…!? 金魚のように口をパクパクさせていると、否定するのも面倒だったと彼はこっそり私に教えてくれた。それでも私にとっては刺激の強いその言葉でたじたじになっていると、何故かフと笑われてしまった。 店を出て、次は何処に行くんだと聞く彼に「恥ずかしかったじゃないですか」と口を尖らせて言うと、やっぱり尾形さんの口元はニヤリと笑っている。 「俺は別に構わんぞ」 「何がですか?」 「こっちの話しだ」 「えぇ……なにそれ」 全然意味の分からない彼に、じゃあ次の店を探しますよと私は先を歩いた。転ぶなよと後ろから聞こえたので、平坦な道なので大丈夫でーすと私は笑う。天気予報は朝から雨だって言ってたけど、予報も外れて今日は快晴だ。空を見上げると大きな雲の隙間から見える青空が綺麗だった。 歩くこと15分経過して辿り着いたのは、明らかに女性向けの雑貨屋だった。立ち止まって店を眺めていた私に、尾形さんは嫌そうな顔をしながら「まさかそんなわけねえよな」と呟く。 「そのまさかですよ。さあ入りましょう」 「俺は外で待ってる。お前ひとりで行け」 「えぇー……じゃあ行ってくるので絶対に此処から離れないで下さいね!」 「わかったわかった。さっさと行ってこい。あんまり遅いと俺は帰るからな」 「はぁーい」 店内に入ると、まずは以前買った入浴剤を籠に入れる。あとは尾形さんの部屋に置きたいなあと思っていた小さな動物シリーズの置物を眺めた。黒猫を見付けた時、それがあまりにも彼にそっくりだったので思わず笑いが漏れる。その隣にあった柴犬も可愛かったので、それも購入決定する。 直ぐにレジに行って会計を済ませると、店の外で待つ尾形さんに声を掛けた。 「早かったな。まだ時間が掛かると思った」 「買うものは決まってたので。この前切らした入浴剤と、尾形さんの部屋に置こうかなって思ってる動物の置物です。ほら可愛いでしょ」 「……こっちのイヌッコロはお前にそっくりだな」 「そうですか?私はこの黒猫が尾形さんそっくりで笑っちゃいましたよ」 「全然似てないだろ」 似てますよーと笑いながら袋の中に戻すと、私たちはまた歩き出した。一応ソファー、机、テレビ台、カーペットは購入したのでこれ以上の買い物は特にない。私も雑貨屋で気になってたものは買えたし満足していると、尾形さんは飯食ったらアパートに帰るかと言った。 「あ!じゃあ、またラーメン屋行きたいです!」 「どっちのラーメン屋だ?」 「初めて連れて行ってくれたラーメン屋です。私が間違えてカップ麺まで持ち出しちゃったやつの」 「あぁ、あそこか。お前ラーメン好きなのか?」 「いえ。私は和食派ですけど、それは自分で作れるので外食はラーメンとか普段家で作らないものを食べたいんです」 尾形さんとパーキングまで一緒に歩くと、車に乗って懐かしのラーメン屋に向かった。 早速注文したラーメンが届くと、私は事前に替え玉も用意してもらう。あの時も替え玉頼んでたなと尾形さんが笑うので、それは尾形さんのせいですと私も笑った。鱈腹食べてる方が魅力的だと言ってくれたから、尾形さんの前でも恥ずかし気なく沢山食べることが出来る。これも全て彼のおかげだ。 「原点回帰って感じで、ここのラーメン屋は好きです」 「……懐かしいな。お前もあの時はまだ若かった」 「いや、今も若いですけど」 「気付けば俺はおっさんだ」 「貴方も若いでしょ」 彼の冗談に私はすかさずツッコミを入れていく。 「お前のツッコミのキレも磨きが掛かってきたな」 「おかげ様でキレッキレのツッコミが出来るようになりました」 最初の一杯目を食べ終えると、替え玉を入れてそれを軽くかき混ぜると、ズズズと食べ始める。尾形さんは一杯だけで腹も膨れたと言って、あの時みたいに私の食べる姿を眺めていた。 やっぱりラーメンって最高だな。 ――――――――――――― アパートに戻ると、尾形はに手渡された二匹の動物の置物を、玄関の下駄箱の上に飾る。黒猫が尾形に似ていると言った彼女は、その隣に並べたイヌッコロにそっくりだった。仲良く寄り添う姿に、いつか彼女とこんな風になれたらと思う。 多くは望まないと思う一方、自分の部屋が少しずつ彼女の好きなものになっていくのは心地が良かった。 今まで使っていた家具を彼女に譲ることになったが、別に後悔はなかった。自分の使っていたものを今度は彼女が使うのかと、自然と口元が緩んだ。ずっと誰かと何かを共有することは気持ち悪いものだと思っていた。それなのに、今はそれを心地いいと思う自分がいる。 携帯に着信が入り、それが華沢だと分かると直ぐに通話を繋ぐ。もしもしと言うが、彼女からの応答は無く、ただ静かに泣いているような声が聞こえた。 「おい、聞いてるか?」 『尾形、くん……っお願い今すぐ来て…!』 明らかに様子のおかしい華沢の異変に、尾形は眉間の皺を深くすると「今何処にいるんだ」と聞く。今は自宅のマンションに居ると言うので、通話を繋いだまま靴を履き直して玄関を出ると、丁度紙袋を手にしたと鉢合わせた。 「尾形さん、これオカズなんですけど……尾形さん?」 「悪い。今から急ぎで出るから冷蔵庫に入れておいてくれ」 「分かりました。あの、部屋の鍵はポストに入れておくんで!」 「あぁ、頼んだ」 ただ事じゃない雰囲気に気付いたのか、は尾形を引き留めることはせず、彼に早く行くよう直ぐに会話を終わらせた。階段を急いで降りると車に乗ってマンションへ向かう。通話を繋いだまま華沢の安否を確認すると、ただ泣きじゃくるだけの子供になっていた。 マンションに着いて、インターホンを鳴らせば玄関ホールのロック式自動ドアが開く。部屋番号を聞いてエレベーターに乗り込むと、言われた部屋の前まで行くと直ぐにノックをした。 「おい、華沢いるか?」 ガチャと鍵が開く音がした途端、開いたドアから飛び出してきた彼女は、尾形に抱き着く。腰回りに両手を回して泣きじゃくる彼女を一度引き剥がすと、何があったんだと聞くが答えは返ってこない。 兎に角玄関に入ると、通されたリビングを見た尾形は眉をひそめた。 床に散らばった陶器の破片や、カーテンレールから外れだらりと垂れるカーテン。泣いている彼女の目元は既に真っ赤になっており、声を低くして何があったんだと聞けば、以前別れたと言った元カレが押し掛けて復縁の話しをされたという。拒否した彼女に突然襲い掛かった元カレは、彼女を散々甚振った後に出て行った事を説明し、ちらりと見えた彼女の手首に残る鬱血痕は生々しく残っていた。 「……警察に通報したほうがいいだろ。その手首の傷も状況証拠になる」 「警察には連絡しないで…!お願いだから…っ」 そう言って、彼女は尾形に近付くとそっと頭を彼の胸元に寄せた。 「お願い……少しだけ、このままでいたいの」 「……ちゃんと考えた方が、」 尾形の言葉を遮るように携帯に着信が入る。名前を見るとと液晶に表示されていた。通話を繋ごうとする彼の携帯を華沢が取り上げると、通話終了ボタンを勝手に押した。彼女の行動に何やってんだと奪われた携帯を取り合えそうと手を伸ばす最中で「あの人に抱かれたの」と小さな声が聞こえ、尾形はピタリと動きを止めた。 「……それって無理矢理か?」 「えぇ、そうよ…っ」 「ハァ……やっぱり警察に、」 「尾形君、私を抱いて」 「………は?」 彼女が何を考えているのか、尾形には分からなかった。 酷い事をされたのに、警察に通報したがらない。それなのに彼女は自分を抱いて欲しいと尾形に強請るのだ。 「自分が何言ってんのか分かってんのか」 「分かってるつもりよ。だからお願い……私は尾形君が好きなの…ッ」 好きだと言う彼女の顔は、今にも泣き出しそうだった。 確かに以前は彼女と体だけの関係を続けていたことはあったが、当時は向こうに別の男がいた。まあいいやと気にしていなかった尾形は、生理現象として処理しなけらばならない人間の欲求を満たす為の相手だと、それ以上は何も考えないようにしていた。 案外長く続いていた関係も、尾形の本社異動と共に自然消滅したのだが、その頃にはお互いに少しずつ冷めていたのは心成しか感じていた。 「……お前の気持ちには答えられない」 「どうして…?私の事、あの時は好きだって言ってくれたじゃない!」 「確かにあの時はそうだったかもしれないが、今は違うんだ。俺には――――」 ――――俺には、なんだ…? 尾形は一歩後退ると、出掛かった言葉を引っ込める。 引っ込めた言葉は自分自身でも何を言おうとしたのか分からない。 「尾形君、お願い。一回だけでいいから……それ以上は、望まないからっ」 彼女の言葉が静かな部屋に響く。 「私には尾形君が必要なの…ッねえ、おねが……い、」 「お前はそうでも、俺は違う。通報は華沢が自分でしろ」 今の彼女を抱きたいと思わない。前のような関係に戻ってしまえば、自分が後悔すると思った。そして、傷つけたくない人が、今はもう自分の中に存在する。 昔の続きに終止符を打つ為に、彼女を突き放すように言った。どうしてそんなことを言うんだと、彼女の訴えかけるような視線に、尾形はきちんと向き合わなければいけない。 目を伏せると浮かんでくるのは、たった一人の存在だった。 「なん、で……っ、どうしてッ」 「俺が隣に居てほしいのは華沢じゃない」 そうだ。俺には―――――― 「俺の隣に居てほしいのは、あいつだけだ」 いつも笑っておかえりと言ってくれる彼女が愛おしい。 「………ッ」 愛したい。愛されたい。 今すぐ、会いたい。 「それって…さん…?」 彼女の言葉に、尾形は小さく頷くとその足で玄関に向かって歩く。 冷静になった自分の行動に迷いはなく、玄関を開けて振り返った。追ってきた彼女に視線を向けると、尾形はフと笑う。 「華沢、俺はお前との関係を後悔したことはない。だが、今やらなきゃ後悔することが出来た」 「……尾形君、待って……ッ」 彼女の言葉を聞いて尾形はフと口元に薄い笑いを浮かべ、玄関の扉を閉めた。 行ってしまった彼を、もう引き留めることは出来ないと悟った彼女は、その場で泣き崩れるしかなかった。 「どうして……っ、私じゃないの…!」 華沢の声だけが虚しく部屋に響いた。 |