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家政婦は見た……なんてね。

 出張から戻ってきた宇佐美さんにお土産を頂くと、私は早速中身を見た。

「こ、これって…!」
「うん、大阪限定のお好み焼きの粉だよ。あと、たこ焼きの粉もあるよ」
「ちょっとなんでちゃんだけ食べ物なの」
「だって物より食かなって。ほら野々村もこれ欲しがってただろ」
「宇佐美さん大好き」
「現金な奴」

 野々村さんは愛用している化粧品の大阪限定の口紅を貰っていた。ちゃっかりお土産のリクエストをしていたんだと、嬉しそうに口紅を眺める彼女に笑みが零れた。

「尾形は?ちゃんが世話になったお礼でお土産買ってきたんだけど」
「尾形さんは会合があるとかで、鶴見部長と華沢さんの三人で出て行きましたよ」
「へえ、そうなんだ。営業部の主力が三人共居なくなると空気が少し変わるよな」

 確かに、空気が少しピリッとしているというか、それだけ取引先の大きさが分かる雰囲気を醸し出していた。一応、何処の商社なのか聞くと野々村さんが「土方グループよ」と言うので、昔から日本でトップの経済力を誇る企業に私もごくりと生唾を飲んだ。
 確か佐一が土方グループの傘下で働いていたようなと請求書を作りながら考える。

「なぁに?ちゃんまで緊張してるわけ?」
「……だって、日本トップの企業名が出れば私だって緊張しちゃうよ」
「俺も緊張する。尾形は普通の顔してたけど、ホント大物だよね…」
「あの三人は別次元で生きてると思ってます」

 私がゲンドウポーズを取りながら言うと、じゃあそのまま直帰しちゃうだろうなと宇佐美さんが私を見る。

「え……何ですか」
「今日はちゃんも早く上がりなよ。尾形のやつ少し前に言ってたよ、たまにはあいつの飯が食いたいって。それってちゃんの事でしょ?」
「なに?どういうこと?ちゃんって尾形さんにご飯作ってあげてたの!?」
「ちょ、ちょっと声大きい!」

 私は騒がしくしている野々村さんの口を塞ぐと、作り過ぎてるオカズをお裾分けしてるだけだからと説明する。でも二人ともそれを良いように解釈すると「へえ、ふーん」と超ニヤニヤされた。

「ちゃっかり尾形の胃袋掴んじゃってたかぁ、そっかー」
「うっ……そうじゃ、ないですよ?」
「素直に認めなさいよ。別に私は尾形さんのこと普通なんだし。ちゃんが尾形さんを好きなことなんて宇佐美さんだって気付いてるわよ」
「………もういやぁ」

 机に肘をつけると真っ赤になる顔を両手で隠した。

「あとは好きって言うだけなのに、この子ったらずっと迷ってるのよ」
「え、そうなの?尾形もちゃんに結構気を許してるみたいだし、いけそうな気がするけど」
「あ、えっと……なんか、まだ踏ん切りがつかないっていうか、尾形さんって今すごく忙しそうじゃないですか。私のことで悩ませちゃうかなって思ったら言えなくて」

 気にし過ぎじゃない?と二人は声を揃えて言う。息の合ってきた二人に、君らも私と同じようなもんじゃんと溜息を吐く。

「もうっ、私の事はいいですから!仕事始めますよ!」
「お、凄いやる気だ。じゃあ俺の分もお裾分けしてあげよう」
「私の分もあげる」
「こういう時だけ仲良くしないで下さいよ」

 こうして私の一日営業事務は二人に茶化されながらも無事に遂行された。





 結局、久しぶりに早く帰らせてもらった私は、疲れた時は豚肉だよなあと生姜焼きを作って、尾形さんにお裾分けする分をタッパーに移した。あとは彼が帰ってきたら渡そうと洗い物を済ませた後に、ソファーでゆったりしていた。
 陽も落ちた頃、アイスが食べたくなってコンビニまで行くと、美味しそうな菓子パンも見付けたので買った。頭を使う仕事をするようになってから、甘いものを食べることが増えた気がする。今日は寝る前に体重計に乗ってみるかと考えながら歩いているとアパートの前まで着いていた。
 カツカツと階段を上る音が聞こえて、ふと視線を向けると尾形さんの姿と――――

「……華沢さん?」

 まさかの人物に、私は思わずアパートを囲っている塀に身を隠してしまった。隠れる必要があるのか分かんないけど、私の本能が隠れろって……。
 二人の会話は聞こえないけど、チラッと見た時に玄関扉の前で二人は何か話し込んでいた。早く居なくなってくれないかなあとコンビニ袋の中で汗をかくアイスのパッケージを見る。ここで食べるわけにもいかないしと、アイスの心配を始める私。

「長いなぁ……何やって、」

 塀からひょっこり顔を出して確認した私は、持っていた袋を地面に落とす。

 その音の気付いた二人は、こちらを振り向く。しっかりと目が合ってしまった私はヤバイと思って、直ぐにコンビニ袋を拾い上げると急いで逃げ出した。そしていつかの続きのように尾形さんとの鬼ごっこが開催される。
 絶対に捕まってなるものかと、走る速度をさらに上げると、視界に入った公園に逃げ込んだ。ぜえぜえと息を切らしながら、隠れられそうな遊具の土管を見付けると、そこに身を潜めた。

「………キス、してた」

 見てしまった。家政婦は見たってタイトルが今なら付けれそうだと、逃げる直前の光景を思い出す。私の視界には、しっかりと二人がキスする姿が見えた。
 知らない間に二人がそんな関係になってたなんて、私は知らなかった。付き合ってるなら報告してくれたっていいじゃないか。怒りの矛先をどこに向ければいいのか分からず、買ったアイスを袋からガサガサと取り出すと、カップの蓋を開けて溜息を吐く。

「溶けちゃってる……最悪」

 ドロドロになったそれをスプーンで一掬いして口に入れると、とても甘いバニラの味が口いっぱいに広がった。ただ溶けてしまったアイスはあんまり美味しくない。

「これじゃ帰り辛いじゃん……」

 独り言ちて、ポケットに入れていた携帯を取り出すと、野々村さんにLINEを送った。直ぐに返事がきて、今日は家に泊めてほしいとお願いする。特に理由を聞くことなく了承してくれた彼女に感謝して、今から向かうからと待ち合わせ場所を決めて私は土管から顔を覗かせた。
 よし、尾形さんは居ない。

 這い出て直ぐに待ち合わせ場所に向かえば、ちゃーんと手を振る野々村さんにごめんねと言って駆け寄った。兎に角、今はこの場に居るのは危険だと言って彼女の家まで向かった。マンションで一人暮らしをしている彼女は、本当にお嬢様だったようで最上階まで案内された。
 部屋に上がってから黙ったままソファーに座っている私に、何かあった顔してると彼女は一人用のソファーに座って言った。

「………野々村さん…っ、私失恋した、がもおおおおお」
「ぎゃああっ!鼻水付けないでよ!!」

 私が野々村さんの腰にしがみ付いて大泣きを始めると、ものすごい勢いで嫌がられた。

「失恋って何?告白でもして振られたの?」
「してな、い……っ、ひぐ」
「自分の気持ちを伝えてから失恋したって言いなさいよ」
「尾形さんがぁ……っ、華沢さんとキスしてたああぁっ」
「へえ、そうなの」
「えぇっ?なんか反応薄くない…?」

 野々村さん超強キャラ過ぎんか?

「多分、それって華沢さんの一方通行だと思うわよ」
「どうしてそう思うの?」
「多分だけど、尾形さんは部屋に入れてないんじゃない?」
「………うん。玄関の前でずっと話し込んでた」
「じゃあ、まだ大丈夫よ。それ付き合ってないわ」

 彼女の中で確信的な何かがあるのか、付き合っていることを否定した。野々村さんには超能力でも備わっているのかと思う。恋愛マスター過ぎて私が付いていけない。
 もし彼女の言う通りだったとしても、私は途中で逃げちゃってるし、もしかしたら今頃尾形さんは華沢さんを部屋にあげてるかもしれない……考えるだけで怖い。

ちゃんはバカだから教えてあげるね」
「うん、ありがと」
「尾形さんって心許した人しか部屋に入れないと思うのよ。だから私も最初から部屋に入れて貰えなかったし、今だってきっとそうよ」
「……でも、それって裏を返せば、私が何の魅力も感じない人間だからじゃ」
「考えすぎよ。私が知る限りじゃ、尾形さんが心を許してるのはちゃんだけだと思う」

 彼女の言葉で、私の荒れた心情は次第に落ち着きを取り戻していく。
 説得力のある彼女の言葉は、私の背中を押してくれる。

「……尾形さんに、謝らなきゃ」
「謝るんじゃなくて、ただいまって言えばいいじゃない」
「ただいま……かぁ」
「その挨拶だって、ちゃんだからこそ出来るものだと思ってるよ。落ち着いてきたら、ちゃんと真っすぐアパートに戻るのよ?」
「うん。ありがとう……優子ちゃん」

 なんとなく、彼女の下の名前を呼んでみると目をパチパチさせて私を見ていた。

「なによ。今になって名前呼び?遅すぎ!」
「ご、ごめん」
「ううん。そうじゃないわ……私はちゃんの味方だからね」
「ありがとう、ございます」

 彼女の淹れてくれた紅茶を飲んだら、私の戻るべき場所に帰ろう。

 華沢さんは私の前で言った。「最初から頑張ろうと思う」って。
 きっと誰よりも長く尾形さんを想い続けていた彼女の想いは、私よりも凄く大きい。

 でも、彼女と尾形さんの過去は、私にとって過去でしかない。

 ちゃんと帰ったら、彼にいつも通り「ただいま」って笑顔で言えるようにしよう。