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チャーシューが好きなんだ!

「尾形さん、出来た書類はここに置いておきますんで、時間のある時にチェックして下さい」
「時間がないから直ぐに見る。ちょっと待ってろ」
「わかりました」

 尾形さんが書類をチェックする横で、私は立ったままそれを眺めていた。テキパキと確認する彼の姿は、本当に仕事が出来る職人のようで尊敬する。到底私には尾形さんのような事は出来ないと、私は第二の尾形プロにしようとする鶴見部長をチラッと見た。
 午後から商談に行くと言っていた鶴見部長は、午前中ずっとノーパソと向き合っている。宇佐美さんから聞いた話だと、今も昔も変わらず商談時は凄いトークスキルを炸裂させて必ず契約を取って来るらしい。負けなしの彼ありきの部署なので、部下たちにとっても良い活力剤になってるとか。

「…問題ない。そのまま次の作業に取り掛かってくれ」
「分かりました。じゃあ今の二倍の量にして持ってきますね」
「あぁ……は?」

 そそくさとデスクに戻った私は、尾形さんの呆気にとられた声は聞こえておらず次の作業に取り掛かる。一応少しずつ持っていこうと思ったけど、午前中に全部終わりそうな気がしたので張り切った。その結果、尾形さんにお前やり過ぎだろと呆れられてしまった。

 休憩がてら自販機の隣にあった休憩スペースで壁を背もたれに缶ジュースを飲んでいると、後からやってきた尾形さんも自販機でコーヒーを買っていた。お疲れ様ですと挨拶をすると、彼も私の隣に立ってプルタブを開けるとぐいっとコーヒーを飲むと、視線を私に落とす。

「お前、すこし頑張り過ぎなんじゃないか」
「そうですかね…」
「もう少しペース配分を考えろ。今のままだとお前が先に潰れるぞ」
「はい…すみません」
「周りの期待に応えようとする気持ちも分かるが、お前は俺みたいになる必要はない」

 確かに尾形プロみたいにはなれませんよ、わかってます。でも自分の出来る最大限の事をするだけだったので、決して苦じゃなかった。帰っても直ぐに爆睡してるし……尾形さんのお裾分けも一時的にお休みさせてもらってる。

「ちゃんと食ってんのか」
「ええ、食べてます。二合の白米をペロッと」
「………」

 ちょっと聞いておいて引くなんてヒドいじゃないですか。

「聞いた話じゃ、小高と諸井の仕事まで手伝ってるんだってな」
「……知ってたんですか」
「華沢から聞いた。つーかその手伝ってるやつはもう断れ」
「……はい」

 今の彼に逆らえないのは、徐々に不機嫌な顔になっているからだ。頑張った分だけ怒られるんなんてあんまりだと下を向いていると、今度はハァと溜息が聞こえる。尾形さんが心配してくれる気持ちは有難いのだけど、彼の口から華沢さんの名前が出てきた事に悲しくなった。仕事の価値観も同じなのか、仕事中の二人は本当に仲が良い。
 嫉妬の塊で嫌になってきた私は、飲み終わった缶をゴミ箱に捨てると「ほどほどに頑張りますんで」と足早に彼に背を向けたまま去った。きっと凄く態度が悪く見えたかもしれないけど、情緒不安定だったと以前と同じ言い訳でもしておけばいい。

 オフィスに戻った私は、無心で仕事を進めた。出来上がった書類は尾形さんのデスクに置いて付箋に「お願いします」と書いて添えておいた。上手く会話を出来る気がしない。野々村さんには大丈夫?と心配されたけど、超仕事楽しいよとガッツポーズを見せると相変わらず引かれた。
 もう直ぐで昼休みかぁと凝った肩を解すように指でぐっぐっと押さえていると、携帯にメールが入る。誰だろうと確認すると『杉元佐一』の名前だ。

『今、外回りでお前ん所の会社の近くなんだけど、昼休みいつ?』
――――もう直ぐで仕事終わる。だから駅のところで待ってて。
『りょーかい!』

 メールを終えると、誰から?と野々村さんに聞かれて、イトコだよと答えた。休憩時間に入って食堂に誘われたけど、ちょっと野暮用入ったからとやんわり断り、ジャケットと財布と携帯を持ってオフィスを出た。
 尾形さんと廊下ですれ違って声を掛けられたけど、聞こえない振りをして急いでエレベーターに乗り込むと閉じるボタンを押す。すると、ものすごい音でガコンッと音がして視線を上げると、そこには尾形さんがエレベーターの扉をこじ開ける姿だった。

「えぇっ!?何やってるんですか…!」

 乗り込んだ後、尾形さんは直ぐにエレベーターの扉を閉じると、私に近付いて見下ろしてきた。その黒い瞳は怒りのようなものを帯びているので、私は蛇に睨まれたカエルの如く動けなくなってしまった。

「上司の俺を無視するとは言い御身分だな?」
「あ、えっと……聞こえなかったんですよ?」
「明らかに一瞬振り返ろうとしてたじゃねえか。わざとらしく無視しやがって」

 超冷や汗モノの状況に、壁に追い詰められた私は逃げ場を失う。チンと音を鳴らしてロビーに着いた事を知らせるとエレベーターの扉が開く。丁度乗ろうとした人たちが私たちの異様な雰囲気を見て、踏みとどまっていた。

「お、おりませんか……」
「……ちょっとこっちに来い」
「えっ!?」

 ぐいっと腕を掴まれて私は尾形さんに連行される。エレベーターを降りロビーを歩く彼に声を掛けた。どこに行くんですかと彼の歩幅の大きさに私は小走りで引っ張られる。

「ちょっとお話しようや」

 お話しって何。また説教ですか!?

「私今から用事が…!」
「今すぐ断れ」
「えっ」
「ここで、今すぐ、断れるよな?」
「……ひゃい」

 立ち止まった尾形さんが腕を掴んだまま私を見下ろすさまは恐ろしかった。また蛇に睨まれた蛙状態で携帯を取り出すと、佐一にやっぱり無理っぽいとメールを送る。お断りさせて頂きましたと尾形さんに報告して、今度は私が走らなくてもいい速度で尾形さんは会社の外に出ると、丁度向かいの道に見えたラーメン屋に入った。
 ガヤガヤとした店内で、私たちは向かい合って座る。

 何を言われるかドキドキしている私に、尾形さんは先程の不機嫌オーラはどこへやら、普段と変わらない口調とちょっぴり呆れ顔で「なんで逃げるんだ」と先程の私の態度について聞いてきた。どう話そうか思案する私は、メニュー表に目を泳がせながら下唇をきゅっとさせた。

「私……チャーシューが好きなんです」
「は??」

 あまりにも唐突に私がチャーシューが好き宣言するので、さすがに尾形さんも素っ頓狂な反応を見せる。本当はあなたが好きなんですと言いたい気持ちを、チャーシューに置き換えるしか口に出せなかった。

「チャーシューが好きなんですよぉ…」
「おい、どうした……泣いてんのか」
「もう良く分かんないんですよ…っ、だけどチャーシューが好きなんです!」
「さっぱり意味が分からん…」
「分からないままでいいですから、これ以上は聞かないで下さいっ」
「あー、もう分かった。俺が悪かったからその顔だけは止めてくれ」

 どんな顔してんだ私。
 そう思って横を向けば窓ガラスに映る私の顔は酷いものだった。泣きそうな顔を耐えながら鼻水を垂らしている。

 ………本当に酷いな。

「ずびばぜん……っ」
「いいから鼻を拭け。そんなんじゃ飯も不味くなるぞ」

 置いてあったティッシュを何枚か取ると私はズズズッと鼻水を拭いた。

「俺は少しでもお前の助けになってやりたいと思ったんだが、やっぱり力不足なんだろうな」
「そんなことないです。私がどうしようもない人間だから……ひぐっ」
「また鼻水垂れてんぞ」
「ズビィッ!」

 とりあえず時間も迫っているので、ラーメンを注文した私たちはそれを食べて午後の仕事に戻る。

 午後から調子を取り戻した私に「ただ腹減ってただけじゃねえか」と尾形さんに言われるのだった。言われてみれば、そうなのかもしれない。