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唐揚げ定食

 新入社員として入社した私は、初日のワクワク気分を味わいたいからという理由で、尾形さんとの車出勤をお断りさせてもらい電車で会社まで向かっていた。久しぶりに着たスーツもサイズはそのままで着れたので、買い直しの心配はなくなった。
 明日からは普通の私服でいいと言われたけど、その場合は少し買い足さないと流石にバリエーションが少なすぎるので、近々野々村さんと買い物に行く予定を立てた。

 少し早めに会社に着いた私は、そのまま食堂へと足を運ぶと、厨房に居たマミちゃんに声を掛ける。

「マミちゃん!今日から新入社員ですよ!」
じゃないか!かっこよく決まってるよ!おめでとう!」
「ありがとうございます!」

 他の皆も同じようにお祝いのコメントをくれる。えへへとテンションも上がりながら、少しだけ彼女たちと話した後は時間もそこそこに、これからの職場となるオフィスへと向かう。

 『営業部』を見付けると、ついに戦が始まると謎の武人気分になっている私に、ちゃんおはよーと声を掛けられた。

「ひあっ!?……なんだ宇佐美さんか。おはようございます」
「なんだってヒドイなあ。今日から一緒に頑張ろうね」
「はい!野々村さんはもう来てるんですか?」
「野々村ならトイレ行ったよ。もう直ぐで戻って来るんじゃないかな」

 宇佐美さんの言葉通り営業部に戻ってきた野々村さんに、おはようございますと挨拶をするとちゃん!と抱き着かれてしまった。

「おはよう!やっと一緒に仕事出来るね!」
「う、うん。よろしく」
「鶴見部長にお願いして、ちゃんは私の隣の席にしてもらったから!」

 なんて心強いんだ。最強の布陣が私の隣なんて、正直無敵なんじゃないかと思う。彼女に手を引かれながらオフィスに入り席を案内されると、早速荷物をデスクの上に置いた。どうやら宇佐美さんの席は野々村さんの向かい側で、私の斜め前となっていた。
 椅子に座って楽しく三人で話していると、尾形さんがオフィスに顔を出す。尾形おせーよと他の同僚に言われながら尾形さんは少し離れた場所にあるデスクに座った。それを目で追って見ていた私が視線を二人に戻すと、ニヤニヤとした顔で見てくる二人が視界に入る。

「な、なに……?」
「ちゃっかり尾形さんのこと目で追っちゃって……ちゃんって言ってることは素直じゃないけど、行動で直ぐに分かるんだよねえ」
「そ、そんなに?」
「俺は最初から分かってたけどね。あはは」
「宇佐美さんまで……!」

 二人に揶揄われながら私が頬を赤く染めていると、おはようという声に自然と視線が向いた。つい最近聞いたばかりのその声の主は、尾形さんと同期だと言っていた華沢さんだ。しかも彼女の席は尾形さんと近い……!

ちゃん、怖い怖い。目がギラついてるよ」
「ひっ、すみません…!」
「尾形さんに話しかけに行ったら?私が手伝うわよ?」
「いい!大丈夫!そっとしておいて!」
「ねえ野々村、この子大丈夫なの?」
「知らないですよ。でもこの子が泣いたら私は尾形さんに文句言います」

 え?尾形さんが強制的に悪くなっちゃうの?
 野々村さんの発言が、明らかに尾形さんを好きなそれとは違って見えて、私はキョトンとしていた。


 朝礼が始まり、新入社員として紹介された私はお辞儀をして挨拶をする。何とか緊張する中、噛まずに挨拶出来たことに安心していると、鶴見部長が「この子はとても優秀だから、安心していい」と爆弾を私の頭上に投下した。この人、とんでもなく危険だ…!

 それぞれが仕事を始める中、鶴見部長のデスクの前で私は向かい合うように立つ。
 まずは教育係を誰にしようかと言う彼の言葉に、出来れば宇佐美さんか野々村さん辺りでと心の中で念じていた。そして彼は「華沢君にしよう」と私を地獄に突き落とす。
 鶴見部長に呼ばれてやってきた華沢さんは、隣に立っただけですっごく良い匂いがした。そして凄いプロポーションと美しい顔。私が霞むどころか消滅する。

「鶴見部長、御用ですか?」
「華沢君、君の能力を見込んで頼みたいんだが君の教育係についてくれないか?」
「私はまだ本社にきたばかりですよ?よろしいのですか?」
「ああ、君になら任せられると思った。頼んだよ」
「……わかりました。では失礼します。さんこっちに来て頂戴」
「は、はい!」

 華沢さんに連れて行かれたのは、営業部のオフィスの後ろにある書類とファイルがたくさん収納された部屋だった。

「入社早々で申し訳ないんだけど、この部屋にあるファイルを年代順に並べてほしいの。あとここの資料の山は今年から三年前以外はシュレッダーにかけてくれるかな?」
「わ、わかりました。頑張ります」
「あと、緊張してるみたいだけど、ゆっくり落ち着いてやれば大丈夫だから、無理せず休憩入れながらやってね」
「はい……!」

 ……なんだろう。超いい人だ。優しい口調に、丁寧な説明。
 私を気遣う言葉。

 敵意剥き出しにしていた自分がもの凄く恥ずかしい。

 自分の頬を両手でパンパンと叩くと、頑張るぞーとジャケットを脱いでシャツの袖を肘まで託し上げた……けど、やっぱり寒いから戻そう。ジャケットも着よ。


 チラチラとオフィスの方の壁時計を確認しながら作業ペースを変える。野々村さんも宇佐美さんも真剣にノートパソコンに向き合って仕事をしていた。尾形さんは、まあ……華沢さんと楽しそうに話しながら仕事をしている様子。

「……仕事に集中しなきゃ」
「仕事の調子はどうだい」
「っ!?鶴見部長でしたか」
「驚かせてしまったか、あはは」

 アハハじゃないですよホント。
 進行状況の報告として、残りは三分の一ぐらいだと説明する。鶴見部長は目を瞬かせた後に、そうかと顎に手を添えた。何か考えている様子の彼を見て、もしかして思ったよりペースが遅かったのかと不安になる私に「もう少し別の仕事を与えた方がよさそうだな」と言った。それはどっちの意味なんだと余計に不安になっていると、彼は優しく笑って肩を叩くと昼から別の仕事を頼むように華沢さんに話を通しておくと言って去って行った。
 いや、なんか……怖いんですけど……。



 昼休みの時間になり、野々村さんが顔を覗かせて食堂に行こうと誘ってくれた。華沢さんに報告しておこうと彼女に声を掛けると「お疲れ様」と優しく微笑まれた。チラッと尾形さんを見るとまだ仕事に集中しているので視線は書類に向いている。

「お疲れ様です。ファイルと書類の整理は、一応三分の二まで終わらせました。残りはもう少しなんですけど、鶴見部長からまた華沢さんにお話があるみたいです」
「分かったわ。じゃあお昼休みだし、ゆっくり休憩取ってね」
「はい。また午後からもよろしくお願いします」

 会釈をして報告を終えた私は、財布を持って廊下で待っている野々村さんのところへ行く。仕事どうだった?と聞かれ、楽しかったよと言えば何故かドン引きされてしまった。ドMっていうか社畜ねと言われてしまい、そんなことはないんだけどなあと苦笑する。

 食堂に着くと券売機で食券を購入する。
 以前から気になっていた唐揚げ定食を買うと、マミちゃんにお願いしまーすと渡した。丁度いい席を見付けた私たちは、窓際テーブルを確保すると料理が出来るまで先程の会話の続きをした。

「ここの会社の営業部って半分が出入りして残りの半分がずっとデスクに向かってる感じだったけど、何か違いでもあるの?」
「ああ、それね。営業として取引先に商談する人と、書類とか商談後の管理は全て営業事務がやってるの。で、オフィスが一緒なんだけど一応席は別けてるの」
「へえ……そうなんだ。野々村さんはどっちなの?」
「私は営業事務。宇佐美さんも営業事務だけど、尾形さんはどっちもって感じね」
「どっちもやってるの!?社畜のプロじゃん!」
「誰が社畜のプロだって?」
「ぎぃやっ!!」

 突然背後から耳元に低音ボイスで囁かれて、思わず変な声を上げる。

「尾形さん!お疲れ様でーす!」
「お、尾形さん…!吃驚したじゃないですかっ」
「俺も混ぜろ」
「どうぞどうぞー」

 野々村さんの返事に尾形さんは私の隣に座った。置いてけぼりの私は、二人の会話を聞きながら囁かれた側の耳を擦る。

ちゃん仕事楽しいみたいですよ」
「マジで言ってんのか」
「えっ!?いやだって私は皆と違って新人だし難しい仕事は任せてもらってないですから」
ちゃん自分で気づいてないの?」
「え?なにが?」

 彼女は呆れたように溜息を吐くと、あの作業は新人を商談側にするか事務側にするか見極めたものだったのよと零した。唖然とする私に、また不細工よと彼女が言うので開いた口を閉じた。
 最初は事務側として最適かどうかを見極められていたという。午後から営業側として向いているかの判断をされるらしいので、商談経験の少ない私は絶対に無理だと冷や汗をかいた。でも、仕事をする以上は頑張らなきゃいけないと思い、膝の上で両手の握りこぶしに力を込めた。

!唐揚げ定食出来たよ!」

 ちょっとマミちゃん声デカイよ!

 あまりの恥ずかしさに、緊張した気持ちが一気に消え去った。
 マミちゃんパワーしゅごいよ。