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一難去ってまた一難?

「ぶえっくし!」
「おい、俺に唾を飛ばすな」
「ごめんなしゃい……」

 新年を迎えた今日、私と尾形さんは近くの小さな神社に足を運んでいた。

 やっぱり寒いなぁと不意に出たクシャミが思った以上に盛大だった。尾形さんに汚いだの菌が移るだの散々なこと言われたけど、まあ仕方がない。
 去年のクリスマスにプレゼントしたマフラーを彼がちゃんと着けてくれているので、私も自分に巻いたマフラーの下で顔を綻ばせる。

「尾形さん!あそこに甘酒がありますよ!」

 早速甘酒を配っている人たちを見付けて、私は彼の袖を引っ張りながら早歩きになる。引き摺られるようにしていた彼は、私の手を振り解いたかと思えば、その手を私の手に重ねて握った。
 思わず黙り込んだまま足を止めた私は、彼を見上げて今年一番の惚けた顔を披露すると「不細工になってんぞ」と言葉の剛速球が私の胸を貫いた。
 野々村さんならまだしも、尾形さんに言われたら結構ショック…!

「ずみばぜん…っ」
「すげえ鼻声だな。ティッシュ詰めるか?」
「いいです!余計に不細工なりそうなんで!」

 結局、彼は私の手を握ったまま甘酒を配っている所へ歩き出した。
 甘酒を貰った私は上機嫌にそれを飲みながら、参拝客の列に混ざる。尾形さんが欠伸をしながら気怠そうにしていたので、もしかして昨日の夜も仕事してたんですか?と聞くと、仕事初めに商談があるんだよと面倒くさそうに言った。

「どんだけ忙しいんですか私たちの会社……。これからやっていけるのか不安になってきましたよ」
「鶴見部長の下で働くんなら、並大抵の女は付いていけねえだろうな」
「ぎえっ、じゃあ私速攻クビじゃないですかぁ!」
「いやお前なんとなく根性あんだろ。あと気合だったかババア達が言ってたぞ」

 相変わらず食堂のオバチャン達をババア呼ばわりする尾形さんには慣れた。絶対に周りは私を過大評価してる。第一、鶴見部長ってどれだけやばい人なの。見るからに柔らかい笑みを見せてるけど、内面はすごくドSとか…?
 考えながら身震いをさせる私に、お前考えすぎてるぞと尾形さんは言う。でも、そんな風に思わせたのは尾形さんじゃんと言いたい気持ちを抑えて、そうですかと口にした。

「言っておくが、俺の上司は鶴見部長だ」
「……へ?そうなんですか?」
「宇佐美も同じだ。あと………野々村」

 そんなに彼女の名前を出すのが嫌なのか。
 凄く間が空いた後に紡がれた彼女の名前に、まあ野々村さん根性ありそうですもんねと苦笑する。私は正真正銘の馬鹿だけど、彼女は馬鹿な振りをした才知だ。多分、鶴見部長はそのことに気付いてるんじゃないだろうか。

「あ!大判焼き売ってますよ!」
「おい列を乱すな。あとで買ってやるから大人しくしてろ」
「はぁい」

 繋がれたままの手がピーンとなって、私が大判焼きの屋台に向かおうとする体を止めた彼に、もしかして手を繋いでるのってこういう事なのかと何となく理解した。人混みが苦手な上に自由行動しちゃう私を制御する方法は、逃がさないようにすることだ。尾形さん……やりますねえ。

「尾形さんは何か食べたいものありますか?」
「俺はいい。お前が食べてる所を見てれば腹も膨れるから」
「えぇー……じゃあ、いっぱい食べますね」
「腹壊すなよ」

 なんだか今年の尾形さんは去年よりも更に過保護になってる気がする。まるで私のお父さんじゃないか。いや、お母さん?どっちもでいいか。

 漸く私たちの順番がやってきて、お賽銭を入れると鈴を鳴らして手を合わせた。
 今年もいっぱい美味しいものが食べれますように。あと、仕事が上手くいきますように。あとあと………いや、これはいいか。
 瞑っていた目を開けると、尾形さんは私を見下ろしていて、終わったか?と聞くので頷いて次の人に順番を譲った。おみくじを忘れずに引くと、私は末吉だった。微妙過ぎて反応も出来ない私の隣で、フと自慢げに見せてきた彼の結果は大吉だったので「お焚き上げしましょうか」と冗談で言えば「嫉妬か」と突っ込んでくれた。

 昨日までの事が嘘みたいに楽しい今日を、私は胸いっぱい噛み締めるように屋台が並ぶ場所まで彼の手を引いて駆け出した。



 そろそろ帰ろうという尾形さんは、人混みに酔ったのか少し気分が悪そうだった。飲み物買ってきますよと彼を設営されたベンチに座らせると、私は財布を握り締めて自販機を探した。少し歩いたところで見つけた自販機にお金を投入し、尾形さんの好きそうなコーヒーブラックを購入して戻ると彼は誰かと話し込んでいた。
 相手の後ろ姿が女性であることに気付いた私は、反射的に物陰に身を潜ませる。なんで私が隠れなきゃいけないんだと、木の幹にしゃがみ込んでいると「あれ?ちゃん?」と聞き慣れた声が聞こえた。

「宇佐美さん!?ちょっと隠れて下さい…!」
「は?えっ!?」
「ちょっとアンタたち何やってんのよ?」
「野々村さんまで!?お願いだから隠れて!」
「はぁ!?ちょ、ちょっと何よ…!」

 私は無理矢理二人を同じ場所に身を隠すよう引っ張り込むと、あそこと指を差した。尾形さんと誰か知らない女性が話している姿を見た二人は、あーあれねと納得していた。え、もしかして二人とも知ってる人なの?

「なーにー?ちゃんってば尾形の事気になってるんだねぇ」
「あ、いや…そうじゃないですから!なんとなく声を掛け難かったので、それで」

 私が宇佐美さんに揶揄われていると、その後ろから野々村さんがフーンと二人を見て真顔になっていた。

「あの人、私たちと同じ部署よ。少し前に支社から本社に異動になったみたいなんだけど、あの二人ちょっと怪しいのよねぇ…」
「怪しいって何?お前のそういう勘ってすげぇ当たるよな」
「女の勘は伊達じゃないのよ」
「私女だけど全然分かんない…!」

 でもちゃんが隠れたってことは怪しい気配は感じたってことなんじゃないの、と宇佐美さんは言ってくれた。優しいフォローをありがとうございます。でも今の状況を考えると全然嬉しくない。

「……で、ちゃんは何でここに居るの?一人なの?」
「私は尾形さんと一緒に初詣に来てました……あっ」
「へえ、尾形さんと一緒に?ふーん?」
「ご、ごめん…野々村さん許して…!甘酒の誘惑に負けちゃったの!」

 既に半泣きの私だったが、宇佐美さんと野々村さんの組み合わせも珍しかったので、逆にその事を聞いてみると「宇佐美さんに誘われたから付き合ってあげてるだけよ」と野々村さんはつまらなさそうに言う。でもその耳は少し赤くなっていた。どういうことなの…。
 分からないことが多過ぎる今、私は尾形さんが目の前の彼女に対して優しい笑みを向けていることに、心臓がぎゅっと鷲掴みされたみたいに痛くなった。

「…で、ちゃんは尾形のところに戻らないの?」
「だ、だってあの雰囲気で私が戻るとか無理じゃないですか?」
「無理じゃないわよ。ほら行くわよ、私が一緒に居てあげるから」
「おっ、さすが男前の野々村」
「うっさい」

 私は野々村さんに手を引かれながら、尾形さんのいるベンチまで向かった。
 買った缶コーヒーはもうヌルい。

「尾形さーん!あけましておめでとうございます!」

 いつもの調子で明るく接する野々村さんを見て、なんて強い子なんだと感動する。その後ろを宇佐美さんも付いて来てて、よっ尾形と挨拶をしていた。

「……お前ら来てたのか。組み合わせが謎なんだが」
「さっきちゃんが迷子になってるの見掛けて、一緒に尾形を探してあげたんだよ」
「は?迷子になってたのか?」
「は、はい……そうです、迷子でした」

 宇佐美さんのフォローもあって、私は迷子という形で彼女たちに拾ってもらったと説明してもらった。呆れた顔をする尾形さんの顔を見て、本当は迷子じゃないけど色んな意味で迷子だったので言い返す言葉もない。

「じゃあ尾形君、また会社で」
「ああ、またな」

 先程まで尾形さんと話していた女性が軽く手を振って去っていく。
 悔しいけど、とても綺麗な人だった。桃色の口紅が凄く色っぽくて、大人の女性って感じが凄くて……うう、自分が情けなくなる。足元を見れば自然と視界に入る己のふくよかとは言い難い胸に、更にテンションは下がった。

「尾形さん、あの人とどういう関係なんですか?」

 ちょっとまって野々村ちゃんそれ今聞いちゃうの?
 私の手を握ったままの彼女は、私に任せてとでもいうように私に一瞬視線を向けると微笑んだ。心強い以前に野々村さんが戦車ばりの装甲で軽トラに突っ込んでるような光景だ。

「俺がまだ支社に居た時の同期だな。まあ新人時代の話だ」
「ふーん。そうなんですねぇ」
「俺もそれ初めて聞いた」
「別に教えてどうなるって訳でもねえからな。で、お前は飲み物をちゃんと買えたのか?」

 三人で話している姿を眺めていた私に、尾形さんが私に声を掛ける。持っていた缶コーヒーを渡せば、ヌルいなと彼は呟く。なんだか、良く分かんないけどその一言が悔しくて、私は買い直してきますと言って猛ダッシュでさっきの自販機まで走り出した。背後で私の名前を呼ぶ野々村さんの声が聞こえたけど、もう振り向きたくなかった。
 多分、今の私の顔は最悪なぐらい不細工だ。嫉妬にまみれた、不細工になってる。

 彼が幸せならそれでいいって思ったのは私じゃないか。
 それなのに、彼を独占したい気持ちが日に日に強くなっていく。

 自販機に小銭を突っ込んで、少し強めにボタンを押すと、ガコッと出てきた缶コーヒーを片手に掴んで急ぎ足で戻る。途中、迎えに来た野々村さんに「ちゃん大丈夫なの?」と心配そうな顔を向けられた。大丈夫だと自分にも言い聞かせるように返して、ベンチまで戻ると尾形さんの前に息を切らしながら「これでどうですか!?」と、若干逆切れのように缶コーヒーを差し出した。

「……温かいな」
「はぁ…はぁ…っ、今日はもう帰りますんで、尾形さんは二人と一緒に居て下さい!」
「は?おい、何言って、」
「それじゃ!!」

 その場から逃げるように猛ダッシュで駆け出した。
 学生時代に陸上部で鍛えた脚力は伊達じゃないんだと心の中で叫びながら、振り返って見ると尾形さんが追ってくる姿が見えたので、私は必死で逃げる。鬼ごっこの始まった私たちは、結局目的地も同じで玄関のドアノブを掴む直前に、尾形さんに捕まってしまった。

 掴まれた腕を振り解こうと動かしてみるが、やっぱり彼の方が力が強かった。

「…おいっ、何があったんだよ…っはあ、はあっ。つーかお前足早すぎだろ…っ」
「だ、だって……なんか、あの場に居たく、なかったんで、すよ……ッ」
「…だから、なんでだよ」

 息を整えた尾形さんの黒目が私を見下ろした。
 口から出そうになる二文字を押し込めて、別にいいじゃないですかと顔を背ける。

 沈黙が流れる最中で、私の携帯が鳴る。すみませんと断って画面を見ると野々村さんからだった。通話を繋いでもしもしと言った所でひょいっと尾形さんに携帯を奪われてしまった。何してるんですかと取り返そうとする携帯で、尾形さんは「今取り込み中だ」と言って通話を切ってしまう。
 私の携帯は未だに彼の手の中にある。返してくださいと言う私に彼は何も言わず、そのままポケットに仕舞ってしまった。ええっ…没収された…。

「俺が何かしたのか」
「違います」
「お前が、俺に何かしたのか?」
「そうじゃない、です…」
「俺には言えないことなのか?」
「……ごめんなさい」

 私が頑なに理由を話そうとしないので、ついに尾形さんが折れて「とりあえず部屋でコーヒーでも飲んでけ」と言う。小さく頷いて、黙ったまま彼の部屋に入るとソファーに座って、彼が出してくれたコーヒーを飲んだ。私がミルク入れなきゃ飲めないことを知っているので、自然とそれも用意される。

「まあ、その、とりあえず機嫌直せよ」
「……はい」
「お前、あと二日したら仕事始まるんだぞ。その調子で大丈夫なのか?癇癪起こしたガキみたいになってるが」
「……女特有の情緒不安定ってやつなので、尾形さんに当たってしまった事は本当に申し訳なく思ってます」
「あんまり酷かったら俺もお前をどついてたかもしれんな。…で、落ち着いたか?」
「少し」

 結局、彼の優しさに甘えてるのは私なのだ。
 こんな風に大人な対応をされてしまう時点で、まだまだ自分が子供だと思い知らされる。

「明日は雑煮をお届けしますね……」
「作りながら鼻水垂らすなよ」
「へへ、気を付けます」

 もう少し自分をコントロール出来るように気を付けよう。

 私の中の教訓が増えた一日だった。