20昔々の「婆ちゃん!ここの草抜いちゃっていい?」「おー抜いておくれ!今年は台風で畑も滅茶苦茶になったけど、少しでも被害を抑えれて良かったよ」 大型台風の日、私と尾形さんが茨城の祖母の家に来なければ、今頃どうなってたか分からなかっただろう。祖母は自分の身を挺して畑を守ろうとする。少しでも孫の私に美味しい野菜を食べてほしいからと言っていたけど、祖母が怪我してしまえば、その野菜も食べることも出来なくなると初めて説教した昨日、大人になったなぁと笑顔でそう言ったのは祖母だった。 「尾形さんは元気にしとるんか?」 「うん、元気にしてるよ。尾形さんも婆ちゃんに宜しく伝えて下さいって言ってた。……でも年末に入って仕事頑張り過ぎてる気がするから、ちょっと心配かな」 「が東京居ない間は尾形さんも一人かい」 「どうだろう。私じゃなくても尾形さんの世話してくれる人いるんじゃない?」 「………それ、本気で言ってるんか」 「え?」 優しい声色から、少し寂しそうなものに変わった祖母に私は手を止めて振り返る。作業の手を止めることなく畑を耕し続ける祖母は、何か言いたげな顔になっていたがこれ以上は何も言ってこなかった。 午前中の作業を終えて昼食を取っていると、家の電話が鳴る。祖母が出ると嬉しそうな声で「佐一ちゃんかい!」と言った。懐かしい名前に、私も思わず飲んでいたお茶で咽る。げほげほと咳き込み苦しくなる呼吸を整えていると、電話の子機を持って私のところにやってきた祖母が、佐一ちゃんだよと渡してきた。 一度引っ込めそうになった手で電話を受け取り、もしもし、とゆっくりとした口調で答える。 『お前今そっち居んの?久しぶりじゃん』 「うん、久しぶり。なんで婆ちゃんの家に電話したの?」 『この前の台風の時に、心配だったから電話したんだよ。そうしたらが東京に帰った後でさ。今年の年末に茨城戻るって婆ちゃんに教えてもらって、だから電話したんだよ』 「あー…なるほど。心配してくれてありがとね。婆ちゃん喜ぶと思う」 だってお前にとって、たった一人の家族だろ。 佐一のその言葉に、一瞬黙り込んだあと、そうだねと呟いた。 『親父さん達の墓参りには行くのか?』 「まあ、そのつもり。佐一は今何してんの?」 『俺か?そうだなあ、ちょっと外出てみて』 「外?」 私は子機を持ったまま、玄関から出る。 「よっ、」 「佐一!?」 電話から聞こえたその声と、目の前の本人が言った声が反響する。 「な、んで…」 「俺も墓参りしたくて来た」 「え、でも仕事は?佐一って東京勤めでしょ?」 「休暇貰ったんだよ。今から墓参り行こうぜ」 そう言って佐一は当たり前のように家の中に入り、婆ちゃん久しぶりーと嬉しそうに祖母に挨拶をしていた。 東京からレンタルしてきたという佐一の乗ってきた車に乗って、墓参りに行くことになった。花は家の周りに咲いていた野花を摘んで、それをお供えするつもりだ。 「佐一、運転免許持ってたんだ?」 「まあ、ほとんどペーパーみたいなもんだけどな」 車内で揺られながら、久しぶりに見た佐一の顔は昔に負った傷が未だに顔に残ったままで、それでも変わらず元気そうだったので良かった。虎二と梅ちゃんは元気?と聞けば二人は結婚したと言う。梅ちゃんは佐一を選ぶと思っていたのに、知らない間にそんなことになっていたので私は驚く。 「俺はそれでよかったと思ってる。は誰か良い人見つかったか?」 「んー……好きな人はいるけど、今の関係が一番安心するっていうか」 「どういうこと?」 「付き合ってないの。アパートの部屋が隣同士で、お互いに持ちつ持たれつな関係って感じ」 「その先は望んでないってことか」 「付き合えたら嬉しいよ。でもまだ踏み出せないんだよねえ……今の私は、その人が幸せならそれでいいのかなって思ってるの」 もうちょっと貪欲になってもいいんじゃないかと言われたけど、今は仕事のことも含めて考えなきゃいけないこといっぱいあるからと言ってこの話は終わりにした。佐一も私と同じく仕事のことで頭がいっぱいらしくて、恋愛どころじゃないらしい。お互い様だねと苦笑して、墓場に着いた私たちは車を降りた。 少し歩いた所で、家の墓があった。 「見ない間に草がボーボーじゃん!」 「だってずーっと行ってなかったんだもん」 「年に一回ぐらいは来てやれよ。おじさん達悲しむぞ」 長く伸び切った草を掻き分けて、墓の周りだけ引っこ抜くと墓石を水洗いしてお花をお供えした。お線香に火を点けて、そして手を合わせる。佐一も隣で手を合わせてくれたので、私の両親もきっと喜んでるはず。 墓参りを終えた私たちが祖母の家に帰ってからは、三人で食卓を囲み昔話に花を咲かせた。祖母も佐一のことを私と同じくらい可愛がっていたので、孫たちが大人になってまた揃って来てくれたと喜んでいた。 佐一はホテルでも取ってるの?と聞けば、祖母の家に泊まるつもりだと言って、その場で婆ちゃんいいよな?と許可を取り始めた。祖母が駄目だと言わないのを良いことに、許可を貰うと早速部屋に荷物を置きに行った。佐一が泊まる部屋は決まって私の部屋なのだ。布団は床に敷いてここが俺の寝床なと言う姿は、学生時代から変わってない。 まあ、いいんだけどさ……。 「佐一ちゃん、風呂沸いたからさっさと入んなよ」 「うん、あんがと婆ちゃん」 「あんた私より馴染み過ぎてない…?」 「そうか?」 佐一は旅行バックから着替えを取り出すと、んじゃ一番風呂お先と言って部屋から出て行った。私はベッドの上でごろんと寝転がると、今頃尾形さんはアパートに帰ってる時間かなとスマホの時間を見て、そっと目を閉じる。 思い出すのは尾形さんの事ばかりだ。 今年の夏に引っ越して、私がオカズを作り過ぎるからと、彼にお裾分けをする約束を取り付けたのが始まりだった。そうしなきゃ彼と関わることも出来ないと思ったから。就職難に陥っていた私に手を差し伸べてくれたのも尾形さんだった。祖母の為に私と茨城まで来たことや、尾形さんの育った家に訪れて彼の心の内を聞けた時、涙が止まらなかった。 あとは短い間だったけど、社員食堂で働いてオバチャン達と仲良くなれて、それからいろんな人と出会った。 嬉しい事も、悲しい事も、切ない事も沢山あって、どれも私にとってかけがえのない思い出。 あと三日もすると新年を迎える。 その時、私はまた新たな生活を迎えることになるのだ。 「風呂上がったぞ。……寝てんのか?」 「……起きてる」 視界を塞ぐように乗っけていた腕を少しずらして私は佐一を見ると返事をした。 いい加減、自分の過去に向き合わなきゃいけない。 東京に帰る前に、海に行ってみよう。 次の日、佐一と一緒に海に来ていた。やっぱり真冬の海は寒い。 天気が良くてよかったと思う反面、轟轟と音を立てて吹き荒れる風が顔に当たって痛い。鼻先を赤くしながら隣で一緒に海を見詰めている佐一に、寒かったら車に戻っていいよと言う。俺がそうしたいからと言って、私の隣から頑なに離れない彼に苦笑しながら、地平線に向かってやっぱり海なんて来るんじゃなかったーと叫んだ。 「が行こうって言ったんじゃねえかよ」 「…うん、ごめん」 「あ、いや…いいんだけどさ。お前の気持ち分かるし…」 「時間ってなんで戻らないんだろうね」 今さら謝れる相手も居なくて、私は苦しくなる胸をぎゅっと抑えて小波を見ていた。 昔、この海に海水浴に家族で来た。 小学6年生の頃、私には兄もいて兄妹の仲は良好だった。両親に近付いたら駄目だと言われた岩場に兄を連れて一緒に遊んでいた。足を滑らせた私を庇った兄が大怪我をして、直ぐに病院に運ばれた兄は手術の末、両目の視力を失ってしまった。 小学生の頃から熱心に頑張っていたサッカークラブや高校の部活も辞めてしまい、段々と引き籠りがちになっていく兄を見ながら、私は何度も兄の部屋に訪れてその日にあったことを沢山話して、また笑ってほしくて―――――― 「丁度このぐらいの時間かなぁ……、」 スマホの時刻は午後14時21分を刻む。 その日は大荒れの天気で雨風が凄かった。 兄が家から居なくなったと連絡があって、私は学校を飛び出して傘も差さずに探し回った。この海岸通りを探し回ってた時、兄の姿が見えて…でもその姿は明らかにおかしかった。浜辺に倒れ込み、打ち寄せる波が兄の足を濡らす。駆け寄って見てみると、ぴくとも動かないし生きている感じがしなかった。掠れる声で兄の名前を呼んで、返ってこない返事に彼が死んでいる事に気付いた。 すぐに救急車で運ばれたけど、兄の心臓は動くことなく死の通告をされる。両親は泣き崩れ、私は泣きたいはずなのに泣けなくて、人の死を目の前にした恐怖心なのか、自分の所為で彼が死んでしまったんじゃないかという罪の意識が混濁していた。 葬式は身内で行ったので、佐一も参加していた。 事情を知った彼は、葬儀中もずっと私の手を握って隣に寄り添ってくれた。 それから父も母も兄を亡くす原因になった私を疎ましく思ったのか、私は茨城の祖母の家に預けられることになった。私が茨城の高校に入学してから、祖母から両親が亡くなったと聞かされた。 でも、原因は未だに教えてもらえない。 「お兄ちゃん……ごめんね。また、会いた、い……っ」 「……俺の前でなら、泣いてもいいんじゃないか。お前強がりのくせに本当は泣き虫だからさ」 「佐一のばーーーかっ………、でも…、ありが、と」 「ほら、今日だけ特別に俺の胸を貸してやる」 「…っ、別にいらない。もう一人じゃないし」 「へえ、そっか。今度俺にもその人のこと紹介してくれよ」 「絶対にヤダ」 「ケチ!」 「ケチで結構!」 お兄ちゃん、私は毎日が幸せだよ。 私の事を心配してくれる人や、幸せを願ってくれる人が沢山いるの。 こんな幸せな日々を、お兄ちゃんの分まで私が生きて、いつか天国で会えた時にいっぱいお話しするから聞いてほしい。 私がまたこの海に来る日があるとするなら、それは隣で一緒に歩んでくれる人が出来た時だと思う。 ―――――大好きだよ。 |