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アンコウ鍋

 祖母が風呂を焚いてくれたので、尾形さんに先に入るように言えば、彼は遠慮して私に先に入るよう言ってきた。このまま譲り合いをしても埒が明かないと思い素直に従った私は一番風呂をする。祖母は最後でいいとか言ってたけど、正直風邪引かないか心配だ。
 急いで風呂から上がると、何やら尾形さんと祖母が話し込んでいたので二人が気付くように次の人どうぞーと声を掛けた。

 尾形さんが風呂に入りに行った後、祖母が私に温かいお茶を出してくれた。お茶を飲みながら、祖母が台風の被害に遭ってなくて良かったと安心していると、ふと尾形さんは良い人じゃないかと祖母が私に微笑む。

「うん…良い人だよ。優しいし、私の事まで気に掛けてくれる」
「そうだねえ。ああいう人がアンタの旦那になってくれたら、婆ちゃんも安心して天国行けるってもんだよ」
「婆ちゃんってば…まだ長生きしてくれなきゃ寂しいじゃん。それに私はまだ結婚しないし、仕事を頑張りたいの。あと、私が相手じゃ尾形さんに失礼だよ」

 尾形さんの事を祖母に紹介出来たことは嬉しかった。
 私が東京で一人寂しくしてないかずっと心配してくれていたのは祖母で、今私が一番大切にしたいと思える人を、こんな形だけど伝えることが出来た。
 車の中で尾形さんも実家が茨城だと言っていたので、明日晴れたら彼の家も見てみたいとお願いしてみようと考える。

 私は濡れた髪の毛を乾かす為にドライヤーを手に取りスイッチを入れた。




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 湯船に浸かり、尾形は先程の会話を思い出していた。
 彼女の祖母が言った言葉の一つ一つが頭から離れない。

 が風呂に行って、、縁側の窓から見える畑を湯呑を片手に眺めていると「尾形さんや」と声を掛けられた。顔だけ振り向き視線を祖母に向けると彼女も尾形と同じように隣に座り、お茶を啜って一息吐くと思い出話を始める。

「あの子の家族は私しかおらん。尾形さんみたいな人が、一緒に居てくれて安心したよ」

 祖母の話しで、彼女に家族が居ないことを知る。
 彼女の過去を知らない尾形は、ただ静かに耳を傾けた。

「家族を早くに亡くしてしまってねぇ……今日みたいな日だった。だから何かあれば心配して私のところにやって来る。今日まで茨城も自然災害が少なかったから、長いこと会っていなかった孫娘が元気そうで良かった。尾形さんのおかげだと思っているよ」
「俺は何も……」
「もし私が死んでしもぉたら、尾形さん、アンタにを任せてもいいかい?」

 この老人は、自分の死期が近いことに気付いているような、そんな表情を見せる。尾形はこの問い掛けに対する回答を模索するが、何が正解で不正解なのかわからない。けれど、一つだけ言葉に出来ることがあった。

「多分……俺が彼女を必要としてるんだと思います」
「尾形さんの気持ちが聞けて、安心した」

 優しい笑みを尾形に向ける祖母に、彼もまた温かい気持ちになれた。

 愛情を一心に受けなかった幼少時代。彼はただ生きること、生を全うすることしか術が分からなかった。誰かに好きだと言われても、何も心に響かず、だから何だと他人の好意を跳ね返していた。

 そんな日々が突然引っ繰り返ったのは、隣人が突然声を掛けてきた事によって始まった。

 最初は変な女だと思って、ただ楽しそうに話す彼女を眺めているだけだったのに、次第に自分の心に彼女が入り込んできた。その存在が大きくなって、世界に色がついて、今まで自分の知らなかった感情を彼女の行動一つで乱される。

 その感情に名前を付けることも出来なくて、自分自身に苛立つこともあったし、訳も分からず彼女に当たり散らしたこともあった。けれど、それを自分の所為だと言って謝ってきた彼女を見て、初めて自身が情けなくなった。
 嗚呼、これが罪悪感なのかと、今は亡き弟に言われて理解出来なかった言葉の意味を、漸く理解し気付くことが出来た。

「俺は、彼女に救われました。今まで知らなかった感情に、向き合うことが出来た。だから俺はずっと隣に――――」
「次の方どうぞー」

 言い終える前に風呂上りの彼女に言葉を遮られる。

 座っていた腰を上げた時、あの子を宜しくお願いしますと隣から聞こえ、それが自分に向けられた言葉だと分かると、尾形は静かに頷いたのだった。



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 風呂上がりの尾形さんに、今日はお鍋ですよとぐつぐつと煮立った鍋の蓋を取って見せた。すると彼は目を見開いて、アンコウ鍋かと懐かしそうな顔をしていた。

「あ、もしかしてアンコウ鍋好きですか?」
「ああ。良く母の作ったアンコウ鍋を食べていた」
「へえ、そうなんですね。私は祖母が良く作ってくれたので一番好きなのはこれですね」

 祖母がいっぱい食べなさいと笑い、私たちは手を合わせて頂きますと食事を始めた。

「んーーー、美味しい!婆ちゃんのアンコウ鍋最高だよー!」
「そうかい。そりゃよかった。いつもご飯は一人だったからと食卓を囲えて婆ちゃんも楽しいよ」
「……婆ちゃん。いつも私の事心配してくれてありがとう。大好き」
「どうしたんだい、泣きそうな顔して。アンタは笑ってる方が一番ええ、なぁ尾形さん」
「そうですね」
「ひっぐ…!二人ともありがとうございまず…!」

 垂れてきそうな鼻水をズズズッと引っ込めると、アンコウを口いっぱいに頬張った。尾形さんも美味しそうに食べてくれていたので、祖母と目を合わせて私たちも笑顔になる。
 彼に三日間の有給を取らせてしまったことは申し訳ないと思ったけど、こうやって一緒にご飯を食べれたことは本当に嬉しかった。
 不謹慎にも、台風ありがとうと感謝するのであった。

 食べ終わった頃には、台風も幾分か落ち着いてた。明日には晴れるだろうと、尾形さんが言ったので私もそうですねと頷く。祖母は疲れが出て既に就寝してしまい、居間で二人きりの私たちは明日の予定を話していた。

「明日は直ぐに東京帰るか?」
「んー……尾形さんの実家、見てみたいです」
「……別に構わないが、誰も住んでないから空き家だぞ」
「え?ご家族は?」
「俺の両親は幼い頃に亡くなった。祖父母も随分と前に、」
「あああぁすみません!私ってば何てことを聞いて…!」
「別に気に病むことじゃない。昔の事だし、隠すことでもないからな」
「そう、ですか…?じゃあ尾形さんが嫌じゃなければ、行きたいです」
「分かった。まだ残ってるのは母方の祖父母の家だけだが、それでもいいか?」
「はい!お願いします!」

 町に出ることも考えたけど、やっぱり尾形さんの育った所がどんな場所なのか気になった。意外と知らない尾形さんの過去や幼少期を知りたい気持ちは募っていくばかりで、でも詮索し過ぎるのも悪いと思って聞けなかった。
 だからせめて彼の育った故郷を見ることぐらいは許されるだろうと、お願いしたのだ。

「明日は朝の8時には家を出るぞ」
「分かりました!頑張って早起きします!」

 尾形さんを客室に案内すると、私も以前使っていた自室で就寝した。