09ブレイクダウンご機嫌ねえと、マミちゃんに言われて自分が鼻歌を歌っていたことに気付く。あ、わかります?と嬉しそうに振り返り、実家の婆ちゃんから野菜がいっぱい届いたので晩御飯を何作ろうか楽しみなんですよねえと皿洗いしながら答えた。 「今日は持ってこれなかったんですけど、明日皆さんにもお裾分けしますね!」 それを聞いていたオバチャン達は大いに盛り上がっていた。 仕事も終えた私は帰り支度をしてエレベーターに乗り込む。ロビーを通った時、掲示板に花火大会のポスターが貼ってあった。それが今年の夏最後の打ち上げ花火であったので、もう今年も夏は終わるんだなぁとシミジミとなる。 すると、何処からか私の名前を呼ぶ声が聞こえた。周りを見渡してみると、鶴見部長の姿があった。 「お疲れ様です、鶴見部長」 「お疲れ様。今から帰りかね?」 「はい。鶴見部長は…?」 「私はこれから商談のために取引先へ行くんだよ」 「へえ、それはご苦労様です。良い結果になるといいですね」 そうするつもりだよと困り顔で笑う彼に、それではお疲れ様でしたと立ち去ろうとするが何故か腕を掴まれ引き留められる。何か用事でもあるのかと不思議そうに振り返り見上げると、少しだけお茶しないかと誘われた。誘う相手が間違ってないか私は目を泳がすが、やっぱり鶴見部長の視線は私に向けられたものだった。 「あの……商談のお時間は大丈夫なんですか?」 「まだ一時間は余裕がある」 「そ、そうですか。あの…じゃあ少しだけ」 二人で会社の外に出ると、何か用事はあったか聞かれたので家に帰るだけと答えれば、彼も少し安心したのか私の背に手を添えて、この店に入ろうと手短な喫茶店に立ち寄った。 窓際の席に座り、ただ黙って鶴見部長を観察するように見いると、私の視線に気づいた彼は優しく何だいと小さく笑う。大人の余裕というやつだろうか、物凄くそれが格好良く見えた。 「あ、いえ……鶴見部長が私を誘った理由が良く分かんなくて、つい」 「ああ、その事か。私はただ君と話したいと、そう思っただけだよ」 優しい笑みを向けられ、尾形さんもたまに何を考えてるのか分かんないけど、鶴見部長は考えを読ませない、という方がしっくりきた。黒々とした瞳が、どこかしらあの人に似ている。 「…まあ、信じられないだろうね」 「い、いえ!そうじゃないんです。正直に申しますと、私と鶴見部長の接点が見つからなくて何を言ったらいいのか分からなかったんです」 「接点は今から作ればいい」 「え?」 彼の言葉の意図が読めなくて、「以前の話だが……」と優しいその笑みを崩さずに私を見て話し始めた。 「本当に正社員として働く気はないか?君のような人材は貴重なんだ」 「私、ですか…?貴重な人材と言われても、私の何を見てそんな風に言ってるのか……」 「…まあ、私の直感なんだがね」 直感!?やばいぞ、この人……。ますます怪しくなってきた。 「そんなに構えないでくれ。今度、北海道に支社が建設されることになってね。一部だが本社の社員がそちらに配属されることになるんだ」 「人材不足を補う為に私に声を掛けてくれたんですか」 何となく合点がいった。まあ確かに若者が会社に勤めるっていうのは、会社の今後を考える上で貴重な人材だろう。でも私にはこの会社で勤めれるほどキャリアは持ってないし、もし出来てもお茶汲みだけなのでは。 彼は窓の外を眺め、フフッと笑ったのだが私も同じように外に目を向ける。けど彼が笑うような何かが分からなくて、視線を戻すと小首を傾げた。 「私の部下も君のことを気に入っていたので、上手くやっていけるのではないかと思ったんだ。こちら側の一方的な話になってしまったが、少しでもいいんだ。考えてくれないだろうか?」 「……まあ、考えるだけなら」 折角、食堂で働けるようになった事もあるので、私はこの話を簡単に受けることは出来なかった。 家に帰ってからは、オカズを作りながら鶴見部長の言葉を思い出していた。 もし私が正社員として働けるようになったら、この上なく嬉しいしお給料も今以上に貰えるから安泰だろう。だけど、この話を受けてしまうことは、尾形さんに対する裏切りのような気さえして色々と考えてしまうのだ。 今日も彼は遅いだろうとインターホンは押さず紙袋をドアノブに引っ掛けて部屋に戻る。タッパーの上に保冷剤置いたから腐りはしないと思う。 ベッドに寝転がりこれ以上考えることは止めようと目蓋を閉じると、さすがに仕事疲れで睡魔が襲ってくる。あぁーーー…このままだと寝ちゃう、そう思って目を擦っていると部屋のインターホンが鳴った。 一応スコープを覗いてから扉を開ける。 「尾形さん、どうしました?」 「ちょっと部屋に入れろ」 「え、は!?」 言いながら私の返事を聞く前に尾形さんは部屋に上がった。 一体何なんだと私が彼の後を追うと、ソファーにドカッと座り足を組む彼に、ここ私の部屋なんですけどと呟く。一応客人なのでコーヒーを作って渡すと、お前も座れと言われたので、仕方なくスペースを空けて隣にちょこんと座った。 「お前、今日の帰りに鶴見部長と一緒に居ただろ。しかも店で話してたな」 「え?なんで知って……」 「見掛けた」 「ちょっとぉ!見たなら声掛けて下さいよー!」 「なんで声掛けなきゃいけねえんだよ」 尾形さんの言い方に少し棘があるような気がした。 彼の不機嫌な態度の意味が分からない。しかも、なんで怒ってるんですかとも聞けない私は、ゴメンナサイと訳もなく謝った。彼はそんな私の行動が癪に障ったのか、本気で言ってんのかといつも以上に低い声で聞かれた。 「だ、だって尾形さん不機嫌だし、何でそうなってるのか分かんないですもん。だから私が悪い事したんだろうなって思って謝ったんです…!」 「別に悪い事したって言ってねえだろ」 「じゃあ、その態度は何ですか…。理由言ってくれなきゃ私だってわかんないですからね!」 「るっせぇな………俺だって分かんねえんだよ」 「……えぇっ?」 彼は自分が不機嫌な理由を分からないと言う。さすがに私もこの状況が意味分からなくなって、一人で状況整理をしてみる。 この人、自分で自分の事あんまり分かってないのかもしれない。意外と自分の感情に鈍感なのかな…。それでも私に当たるってことは何かしちゃったからなんだと思い、自分の行動を振り返ってみることにした。 ……ウーン、何も思い付かん。 「あの……いつ尾形さんは私に苛ついたんですか?」 「……多分、鶴見部長と居るのを見た時だったか」 もしかしてだけど、私と鶴見部長が一緒に居るところを見て妬いてくれたのかな…。 いやいや、そんな自惚れちゃ駄目だろうよ。あ、もしかして尾形さんって鶴見部長のこと大好きだったのかな!?宇佐美さんや人事部の鯉登さんみたいに! それは悪いことをした。やっぱり自分が原因なんだと思い、重ねて謝ることにした。 「ごめんなさい!私全然気付いてなかったです……今度から気を付けますね」 「は?」 「宇佐美さんや鯉登さんみたいに鶴見部長が大好きだから、私が一緒に居て嫌だって思ったんですよね!本当にすみません!」 「……何言ってんだお前」 「え?」 ええっ?もしかして違った!? 尾形さんの反応を見ると一目瞭然、それは断じて違うという視線が私に向けられる。余計にややこしくしてしまった…! あわわわとテンパっていると、何故か今度は彼がフッと笑い出した。今日の尾形さん変だよ、急に笑い始めないでよ。どうなってるのよ。 「お前の百面相見てたらどうでも良くなってきたな…フッ」 「……そりゃ、どうも」 褒められてる気がしない。 事態は収束したので私も開き直ることにした。 会社のロビーで見かけた花火大会のポスターを思い出して、そのことを話題にしてみると、花火が好きなのかと聞かれ、まあ好きなほうですねって答えればそうかと彼は呟く。 「尾形さんは花火大会とか行かれるんですか?」 「俺は行かない。人混みは苦手だ」 「そっかぁ。でも私はあの人混みだけは好きですよ。昔、兄に手を引かれながら歩いたのを今でも覚えてるんですよねぇ……フフ、懐かしいな」 「……行くか」 「え?」 「花火大会に行きたいんだろ?」 「えっ!?あの……でも、尾形さんって人混み苦手なんじゃ……」 彼は私から視線を外すとテレビ台に置いてあった写真立てを見て、気が変わったと、確かに呟いた。聞き逃すことのないその言葉に、私はきゅっと胸の奥が熱くなる。高望みはしないと思ったばかりだというのに、私は彼の優しさに浮かされてどんどん溶けていく。 私、尾形さんのこと好きだ…。 |